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人生の香辛料

昨日に続いて、今日も暑くなりそうだとの予報だったが、東京は思ったほどではない。
曇りがちということもあってか、ひんやりとした風が適度に吹き流れて、むしろしのぎやすい。

東京もそろそろ梅雨入りだろうか。
週間天気予報を見ると、今週の半ばあたりから、傘マークが目立ち始めた。
多少の早い遅いはあっても、自然のサイクルにさしたる狂いはない。

春先まで、何も生えていなかったベランダの鉢に、いつのまにか、色味の異なる二種類の植物が根付き、濃い緑の葉を広げていた。
一つは露草とわかったが、もう一つは、見たことがあるような気はするものの、わからなかった。

そのうち、茎の中心から三本の花茎が伸びてきて、
「ああ、ねじり花だったか」とやっと気づいた。
まっすぐに伸びた茎にらせん形に愛らしい小花が連なるが、これまで花芽にばかり見惚れて、葉っぱには無頓着だったことが、はからずも露呈してしまった。

これは私の悪い癖だが、人物にしても、物事に対しても、ちょっと見だけで、わかったような気になり、肝心肝要な部分を見逃している場合が少なくない。
いわゆる、木を見て、森を見ずというやつである。

ああ、良い人だな、素敵な人だな、と直感的に判断し、それを鵜呑みにして、後でほぞをかむことが一度ならずある。見かけだけで、人を判断してはいけない。
人を見抜くのはまなこではない。心の眼が曇っていては、実体を見定めることは出来ない。

そう言えば、私は人に対しても物事に対しても、根掘り葉掘り、詮索したり、調べ上げたりすることが苦手で、逆にまたその種の人を避けてきたフシがある。
人間関係に煩わされたくない、との思いは昔から強かった。それは今も変わっていない。

しかし、小説を書こうとする人間にとって、そうした性分は致命的な欠陥になりかねない。人間の醜なるものや、業苦、罪悪など、陰の部分を照射し、あぶり出すのは、文学の一つの使命でもあると思うからだ。

私自身、そのことは重々わかっているつもりだが、生まれ持った気質はそう簡単には直せないようだ。
ただ、ひと言、釈明させてもらえれば、自分の欠点、弱点を知ることは、気づかないでいるよりはいくらかましだろう。

おかげで、若いころに比べて、短兵急に決断を下すことがなくなり、傷を負うことも少なくなったように思う。
一端、立ち止まって、辺りを見まわすだけの余裕が持てるようになった。
それにともない、人の機微も少しはわかるようになった気がしている。

もっとも、慎重居士になりすぎて、自らの行動を狭めるようになっては、人生の彩りを失いかねない。
男の覇気だけは、終生、持ち続けたいものである。

失敗や後悔は人生の香辛料みたいなもので、いま自分は鍛えてもらっているのだと悟れば、人生の味わいも増すと言うものだろう。



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2023/06/06 07:12 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

異性の目

夏日が続いたかと思うと、一転して季節が逆戻りしたような寒気に見舞われ、春の陽気は気まぐれだ。
朝晩の気温差が大きいため、何を着て出かけたものか、なんとも悩ましい。
おしゃれに気を遣う人にとっては、こういうときこそ、日頃のフアッションセンスを発揮するときでもあろうか。

かく言う私は、衣装持ちでもなく、流行を追うタイプでもなく、ましてやブランドものにはほとんど無縁ながら、せめて身ぎれいな格好ではいたいと思っている。若々しさと清潔感だけは失わないよう心がけている。

うちの近くに、私よりも一歳年上のご婦人がいる。
いま、単身赴任で上京されている息子さんと同居されているが、いつお会いしても、化粧や身だしなみが整っていて、こちらまで気分が明るんでくる。

人の感性は様々で、何が良くて何が悪いか、一律に決められるものではないが、人の振り見て我が振り直せ、ということわざがあるように、自らの立ち居振る舞いには気をつけたい。
それはいわば、社会生活を送る上での人としてのエチケットだろう、と私は思っている。

人生百年時代を唱える、作家の五木寛之氏は、「70代は人生の黄金期」と説いているが、私自身、それは常々思っていることであり、今が盛りとの気構えで毎日を過ごしている。
老いらくの恋とはいささか時代がかった、思わせぶりな物言いだが、たまには妙齢のご婦人とデートでもして、若々しい刺激を得たいと願っている。

私の持論でもあるが、人間、色気を失ったら老いが早まるのではないか。
これは男も女も関係ない。
異性を意識することによって、ホルモンの分泌が良くなるとは、医学が証明するところでもある。

若さを左右するのは色気と言っても良いかもしれない。
歳を重ねていくなかで、まだ恋愛できそうな人と、そうではない人に区別されるのは、結局の所、異性の目を意識することにあるのではないだろうか。

じつはきたる5月1日、大学時代の寮友10人近くと再会することになっている。
残念ながら、私が入っていたのは男子寮なので、女性っ気はかけらもないが、数十年ぶりに会う彼らははたしてどんな風貌、暮らしぶりをしているのだろうか。

卒業後、どういう人生を歩み、いま何を思い、何を考えているのか、それぞれの人生劇場を聞くのを楽しみにする一方で、いまも艶々しく生きている先輩後輩はいるのか、同志の登場をひそかに期待しているのである。



2023/04/25 10:37 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

相棒

朝晩の冷え込みがやわらぎ、春本番である。
懸念された花粉症も、いまのところ思ったほどのことはない。
事前の発表では、今年は十数年ぶりの大量飛散と脅されていただけに、個人的にはやや拍子抜けといった感じだ。

年齢によるものか、正確なところはわからないが、知らない間に体質が改善されたようだ。
じつはかれこれ20年くらい前から、スジャータが出している「アホエンNS-38」という、にんくサプリメントを愛用している。
もしかしたら、その効果かもしれない。

アホエン(Ajoene)は、にんにく由来の成分で、「Ajo(アホ)」とは、スペイン語でにんにくのこと。
この商品は、非売品で、しかも無償である(送料は数年前からこちらの負担になったが、それまではほんとうに無償だった)。
栄養補助の食品として、一日、1~3粒を目安として、食後に服用している。

元々は、足立美術館館長から勧められたのだが、いまも重宝しているのは私だけのようである。
サプリメントの効用は個人差があって、効果の程は自分で判断するしかなさそうだが、私の場合、実感として身体の芯が丈夫になった気がする。

サプリメントというのは、長年にわたって愛用することで効果が現れるものだから、せっかちな人にはむかないかもしれない。
私もどちらかと言えば、すぐに結果を求めたがるところがあるだけに、まさかこんなに長く続けるとは、自分でも思っていなかった。
継続は力なり、と言うが、今ではなくてはならない「相棒」のようなものである。



2023/04/04 09:03 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

異業種懇親会

時不人不(とき、ひとをまたず)、この頃、時の流れがいちだんとせわしなく感じられる。
創作にいそしむ毎日だけに、人との接触が減り、刺激が少ないのが一因かもしれない。
何かの拍子に、ふっと人恋しさがつのり、孤独がしみてくる。

若い頃は、進んで出かけたものだったが、近年、すっかり出不精になった。
これではだめだ、と遅まきながら、外出の機会をふやすようにした。
美術展や映画鑑賞、観劇をはじめ、知己友人との飲食、散策、近郊への小さな旅……等、思いつくままに予定を立てている。

きのうは午前中、春の院展を観に日本橋三越本店に出向いた。
もっとも、これは前々から決めていたことで、急に思い立ったわけではない。
小雨が降る平日にもかかわらず、展覧会場はまあまあの人出で、コロナ禍もどうやら終息に近づいているように感じた。

そのあと、散策をかねて、東日本橋まで歩き、知人のイタリア料理店「Eau de Vie(オードヴィー)」でランチをした。
三越から歩いて二十分ほどだったが、風が冷たくて、それまでの暖かさが嘘のようだった。
傘を持つ手がかじかみ、手袋でもほしいくらいだった。

店にはアポなしで行ったが、オーナーのTさんが気づいて挨拶に来られた。
Tさんとは、彼が以前勤めていたお店からの知り合いだが、私の花扇画を気に入り、何点か店内に飾ってくれているのだった。
イタリアンでありながら、和の趣が感じられる空間にしたいとのことで、私の絵が似合うと映ったらしい。
さらに詩文画集まで置いて、宣伝に努めてくれているとあっては、ちょくちょく顔を出さないわけにはいかない。

今月31日には、恒例の男4人による飲み会を、同店でやることになっている。
メンバーは、東急不動産の前社長・大隈郁仁さん、東京広島県人会幹事長の金森貴哉さん、松竹の中野正夫さん、そして私である。
今回、たまたま私が当番にあたったので、幹事特権でお店をチョイスしたのだった。

この飲み会は、広島つながりで縁が生まれ、各人が持ちまわりで幹事となり、社交の席を設けるようになった。
言ってみれば、異業種懇親会のようなものだが、毎回、初めて耳にする話題や情報、趣味嗜好が飛び交って、楽しいひとときを過ごしている。

人間の常として、歳を重ねるにつれて交友範囲が狭くなりがちだけに、私にとってはボケ防止と言うだけではなく、若さを保つ刺激の場ともなっている。
みなさん、健康長寿には欠かせない、素晴らしき仲間たちである。




2023/03/29 11:02 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

奇跡の連鎖

先週、理事会に出席するため足立美術館を訪れた。
米子空港まで迎えに来てくれた足立館長の車に乗ろうとしたら、
「すごいでしょ、あっちもこっちも」と駐車場に止まっている車のボンネットを指さしながら、
「花粉ですよ、ぜんぶ」
それを聞いた途端、鼻がむずがゆくなってきた。今年の花粉の飛散量は例年の10倍以上とか。私の場合、加齢とともに症状が軽くなってきたが、館長は相変わらずひどいらしい。

理事会は、おととし、昨年と、二年続けてリモート開催だった。
いくらバーチャルが広まろうと、人の息づかいや肉声を間近に見聞きし、言葉を交わし、咀嚼することによって、意思の疎通ははかられる。
五感を駆使してこそ、人間関係は密度を増す。

理事会を終えたあと、一人ゆっくりと館内を見てまわった。
来館者は、自分が想像したよりも多い気がした。それも若い世代や女性グループが目についた。
例年なら、シニア世代の人が圧倒的に多いが、依然としてコロナ禍がくすぶっている状況下では、まだ出控えているのかもしれない。ツアーバスも見かけなかった。
美術館にとって、本格的な「春到来」はもう少し先になりそうだ。

北大路魯山人館に入ると、見学者はちらほらだった。
鳴り物入りで開館しただけに、ちょっとさびしい気がしたが、そのうち制服姿の女子中学生らしいグループが続々とやってきた。
三人か四人、熱心に見て歩くグループもいれば、足早に出て行く子たちもいた。
魯山人芸術は、若い人の目にはどう映るのだろうか。
率直な感想を聞きたいと思ったが、男の子ならまだしも、若い女の子に声をかけるのははばかられた。
セクハラだ、パワハラだと、今の時代、何かと生きづらくなったと実感するのが常だけに尻込みしてしまう。

館長と待ち合わせたタクシー乗り場に行くと、駐車場に大型バスが止まっていた。
フロントガラスに、「國學院久我山中学校」の張り紙があった。國學院久我山は東京の学校だが、バスのナンバープレートは広島になっていた。
たぶん、原爆資料館か、宮島でも見たあと、足立美術館にきたのだろう。
「修学旅行ですかね。広島からこうして美術館に来てくれてありがたいですね」と館長が殊勝に言った。
コロナ禍前は引きも切らなかった入場者も、いまは大きく落ち込んでいるだけに、来館者への感謝の気持ちが一段と強くなったようだ。

その夜は、なじみの米子市内の割烹料理屋で、館長と北尾さんの三人で、おいしい料理とお酒に舌鼓を打った。
北尾さんは自らカメラをまわす映像プロデューサーであり、私の花扇画の額をつくってくれるクラフト作家でもある。館長同様、気心の知れた間柄だけに、その夜の酒はことのほか五臓六腑にしみた。

ホテルに泊まった翌朝、調べたいことがあって、米子市立図書館に立ち寄った。開館時間が9時だったので、米子空港発11時20分の飛行機には間に合うと思い、急きょ思い立ったのだった。
開館前に着くと、すでに何人か待っていた。そのうちの近所の住人らしき初老の男性が気さくに声をかけてきた。
私が用向きを話すと、二階の資料室に行くと良いですよ、と親切に教えてくれた。
私が調べたかったのは、戦前から戦後にかけて、米子でやっていたある割烹料理店とそこの主人の名前だった。
ネットで検索しても見つけられなかった。

二階にいた若い女性職員に用向きをつたえると、昭和の初めに出版された本を何冊か、持ってきてくれた。そればかりか、一緒になって探してくれた。
私は手渡された本をめくりながら、短い時間に探し出すのは至難のわざのような気がした。
時間に余裕があるならまだしも、空港まではタクシーで行かなければならない。逆算すると、図書館に滞在できるのはせいぜい30分くらいだった。

私は諦め気分になり、もし見つかったらメールにて教えてほしい旨、彼女に自分の名刺を差し出し、続けて足立美術館理事の名刺を添えた。私の肩書きでは信頼に乏しいが、このあたりでは足立美術館の名前を知らない人はいない。

時間が迫り、そろそろ引き上げねばと思っていたとき、奇跡的にそれらしき名前を見つけた。料理業の欄に小さく店の名前と所在地が書かれてあった。
彼女にそれを見せると、町名を手がかりに、もう少し詳しい資料を見つけ出してくれた。米子商工会議所が編纂発行した冊子に、その店の広告が載っていた。広告を出すくらいだから、繁盛していたらしい。
記事のコピーを取ってもらうのにお金を出そうとしたら、それには及びません、と無料でコピーを取ってくれた。
わずか三枚とは言え、彼女の善意がうれしくて、私は持ち合わせていた自分の詩文画集をお礼としてプレゼントした。

空港に着き、コピーに目を通していたら、メールの着信があった。いましがた、図書館でお世話になった女性からだった。
「貴重な書籍をご恵贈賜り、誠にありがとうございました。図書館の資料に加え、永く保存し、広く閲覧に供したいと思います」と丁重なお礼の言葉が書いてあった。これにはおどろき、また感激した。お礼を言わねばならないのは私の方である。

自分としては、個人的に差し上げたつもりだっただけに、思いがけない事の成り行きは、人と人との巡り合わせの不思議を思い起こさせた。
急な思い立ちは、私の個人的な理由だったが、昨夜、館長たちと食事処に行く途中で、図書館を見つけていなければ、立ち寄らなかったかもしれない。

また、開館前に初老の男性と会っていなければ、資料を探し当てるのに手間取り、はたして時間内に目的のものを見つけ出せたか、はなはだ心許ない。それらこれらを思い合わせると、私にはすべてが奇跡の連鎖のように思われる。
ましてや、自分の本が米子市立図書館の蔵書に加わることなど、誰が予想できただろうか。

あわただしい日程のなかの、安来と米子間の行き来だったが、私には忘れがたい山陰紀行となった。次回、美術館に行くときは、私のポストカードでも彼女に贈ろうと思ったことであった。





2023/03/15 10:20 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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