先週、理事会に出席するため足立美術館を訪れた。
米子空港まで迎えに来てくれた足立館長の車に乗ろうとしたら、
「すごいでしょ、あっちもこっちも」と駐車場に止まっている車のボンネットを指さしながら、
「花粉ですよ、ぜんぶ」
それを聞いた途端、鼻がむずがゆくなってきた。今年の花粉の飛散量は例年の10倍以上とか。私の場合、加齢とともに症状が軽くなってきたが、館長は相変わらずひどいらしい。
理事会は、おととし、昨年と、二年続けてリモート開催だった。
いくらバーチャルが広まろうと、人の息づかいや肉声を間近に見聞きし、言葉を交わし、咀嚼することによって、意思の疎通ははかられる。
五感を駆使してこそ、人間関係は密度を増す。
理事会を終えたあと、一人ゆっくりと館内を見てまわった。
来館者は、自分が想像したよりも多い気がした。それも若い世代や女性グループが目についた。
例年なら、シニア世代の人が圧倒的に多いが、依然としてコロナ禍がくすぶっている状況下では、まだ出控えているのかもしれない。ツアーバスも見かけなかった。
美術館にとって、本格的な「春到来」はもう少し先になりそうだ。
北大路魯山人館に入ると、見学者はちらほらだった。
鳴り物入りで開館しただけに、ちょっとさびしい気がしたが、そのうち制服姿の女子中学生らしいグループが続々とやってきた。
三人か四人、熱心に見て歩くグループもいれば、足早に出て行く子たちもいた。
魯山人芸術は、若い人の目にはどう映るのだろうか。
率直な感想を聞きたいと思ったが、男の子ならまだしも、若い女の子に声をかけるのははばかられた。
セクハラだ、パワハラだと、今の時代、何かと生きづらくなったと実感するのが常だけに尻込みしてしまう。
館長と待ち合わせたタクシー乗り場に行くと、駐車場に大型バスが止まっていた。
フロントガラスに、「國學院久我山中学校」の張り紙があった。國學院久我山は東京の学校だが、バスのナンバープレートは広島になっていた。
たぶん、原爆資料館か、宮島でも見たあと、足立美術館にきたのだろう。
「修学旅行ですかね。広島からこうして美術館に来てくれてありがたいですね」と館長が殊勝に言った。
コロナ禍前は引きも切らなかった入場者も、いまは大きく落ち込んでいるだけに、来館者への感謝の気持ちが一段と強くなったようだ。
その夜は、なじみの米子市内の割烹料理屋で、館長と北尾さんの三人で、おいしい料理とお酒に舌鼓を打った。
北尾さんは自らカメラをまわす映像プロデューサーであり、私の花扇画の額をつくってくれるクラフト作家でもある。館長同様、気心の知れた間柄だけに、その夜の酒はことのほか五臓六腑にしみた。
ホテルに泊まった翌朝、調べたいことがあって、米子市立図書館に立ち寄った。開館時間が9時だったので、米子空港発11時20分の飛行機には間に合うと思い、急きょ思い立ったのだった。
開館前に着くと、すでに何人か待っていた。そのうちの近所の住人らしき初老の男性が気さくに声をかけてきた。
私が用向きを話すと、二階の資料室に行くと良いですよ、と親切に教えてくれた。
私が調べたかったのは、戦前から戦後にかけて、米子でやっていたある割烹料理店とそこの主人の名前だった。
ネットで検索しても見つけられなかった。
二階にいた若い女性職員に用向きをつたえると、昭和の初めに出版された本を何冊か、持ってきてくれた。そればかりか、一緒になって探してくれた。
私は手渡された本をめくりながら、短い時間に探し出すのは至難のわざのような気がした。
時間に余裕があるならまだしも、空港まではタクシーで行かなければならない。逆算すると、図書館に滞在できるのはせいぜい30分くらいだった。
私は諦め気分になり、もし見つかったらメールにて教えてほしい旨、彼女に自分の名刺を差し出し、続けて足立美術館理事の名刺を添えた。私の肩書きでは信頼に乏しいが、このあたりでは足立美術館の名前を知らない人はいない。
時間が迫り、そろそろ引き上げねばと思っていたとき、奇跡的にそれらしき名前を見つけた。料理業の欄に小さく店の名前と所在地が書かれてあった。
彼女にそれを見せると、町名を手がかりに、もう少し詳しい資料を見つけ出してくれた。米子商工会議所が編纂発行した冊子に、その店の広告が載っていた。広告を出すくらいだから、繁盛していたらしい。
記事のコピーを取ってもらうのにお金を出そうとしたら、それには及びません、と無料でコピーを取ってくれた。
わずか三枚とは言え、彼女の善意がうれしくて、私は持ち合わせていた自分の詩文画集をお礼としてプレゼントした。
空港に着き、コピーに目を通していたら、メールの着信があった。いましがた、図書館でお世話になった女性からだった。
「貴重な書籍をご恵贈賜り、誠にありがとうございました。図書館の資料に加え、永く保存し、広く閲覧に供したいと思います」と丁重なお礼の言葉が書いてあった。これにはおどろき、また感激した。お礼を言わねばならないのは私の方である。
自分としては、個人的に差し上げたつもりだっただけに、思いがけない事の成り行きは、人と人との巡り合わせの不思議を思い起こさせた。
急な思い立ちは、私の個人的な理由だったが、昨夜、館長たちと食事処に行く途中で、図書館を見つけていなければ、立ち寄らなかったかもしれない。
また、開館前に初老の男性と会っていなければ、資料を探し当てるのに手間取り、はたして時間内に目的のものを見つけ出せたか、はなはだ心許ない。それらこれらを思い合わせると、私にはすべてが奇跡の連鎖のように思われる。
ましてや、自分の本が米子市立図書館の蔵書に加わることなど、誰が予想できただろうか。
あわただしい日程のなかの、安来と米子間の行き来だったが、私には忘れがたい山陰紀行となった。次回、美術館に行くときは、私のポストカードでも彼女に贈ろうと思ったことであった。
2023/03/15 10:20 | COMMENT(0)
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