忘れえぬ先達~奥村土牛先生②
土牛先生との思い出の中で、
深く胸を打たれた出来事がある。
これは関係者の立場を考慮し、
長く自分の胸の内におさめてきたことだが、
別に悪い話ではないし、というよりも先生の人柄が偲ばれる事でもあるので、
時効気分もあって、この機に書いておきたいと思う。
あるとき、先輩の画商さんから、「相談がある」と電話があった。
知り合いの表具師が、土牛先生の作品を傷つけたので、
何とか先生に掛け合ってもらえないか、という切羽詰まったものだった。
詳しく聞いてみると、先生の作品を持っているコレクターから、
表装し直してほしいと頼まれた際、
作品にカビのようなものが付いていたので、表面を洗っているうちに、
取り返しがつかなくなってしまった、というのだった。
その画商さんも表具師さんも、常日頃、お世話になっていた方なので、
土牛先生のお嬢さんに事情を説明し、
身勝手と思いつつも、すぐに作品を持参した。
お嬢さんも困惑されたにちがいないが、
「しばらく預からせていただけますか」とおっしゃってくださったので、
とりあえずホッとしたものの、
先生はその頃、体調が芳しくないと聞いていただけに、気がかりでもあった。
それからひと月くらいしてだったろうか、お嬢さんから電話があった。
急いで駆けつけると、
テーブルの上に、私が持参した風呂敷があった。
お嬢さんは申し訳なさそうに、包みをほどきながら、
「ずいぶん遅くなってしまって」
そこには土牛先生の新作、
いや、先生が新たに筆を入れてくださった作品が、
見違えるように輝いていた。
私は息をのんだ。
土牛先生のご苦労、ご負担を思うと、
何と申し上げたらいいか、ただ頭を下げるよりなかった。
折り返し、くだんの画商さんに作品を届けると、
二人とも感動のあまり涙を流さんばかりだった。
後日、先生の所へお礼のご挨拶に伺うと、
お嬢さんがちょっと恥ずかしそうに、
「一度、秋山先生が女優さんを撮られているところを見てみたいんです」とおっしゃられたので、
早速、秋山先生のご了解を得て、六本木のスタジオへご案内した。
その時の女優さんが誰であったか、
たしか山本陽子さんだったように思うが、
残念ながら記憶が定かでない。
思えば、土牛先生にもまた、大変お世話になった。
先生がお亡くなりになってから、
奥村家にはすっかりご無沙汰しているが、お嬢さんはご健在だろうか。
ご存知の方がいらっしゃれば、教えていただければと思う。
2012/10/28 08:42 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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