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忘れえぬ先達~奥村土牛先生①

日本画の至宝・奥村土牛(1889~1990年)先生について書くのを、
一日延ばしたところ、
先生の作品を思いがけないところで観かけ、その不思議な巡り合わせに少々驚いている。

水谷豊主演の人気TVドラマ『相棒』は、脚本がわりとよくできていて、
私もよく見る番組の一つだが、
一昨日(水曜日)、放映されたドラマの中で、山種美術館(東京・虎ノ門)がロケに使われ、
そこで、土牛先生の『鳴門』が映し出されたのだった。

鳴門海峡のうず潮を描いた『鳴門』(昭和34年作)は、
土牛芸術の最高傑作のひとつであるばかりでなく、
近代日本画史に輝く、不滅の名作である。

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       奥村土牛 鳴門 1959年

私がこの作品を初めて観たのは、
昭和48年、東急百貨店(東京・渋谷)で開催された「奥村土牛展」。
激しい鳴門のうず潮を描いているのに、
私はなぜか、ひたすら静かなものを感じ、しばらく絵の前から離れることができなかった。
金縛りにでもあったような、そんな深い感動を受けた。

土牛先生の作品はじつはその前の年、
桜の古木を描いた『醍醐』(院展出品作)を都美術館で見て以来、
すっかり魅了されていたので、よけい感動が大きかったのかもしれない。

土牛先生は明治22年生まれなので、『醍醐』を描いたのは83歳のとき。
当時、私は25歳で、美術雑誌の編集に携わって間もないころだった。
それまでの自分は美術にはまるで縁遠かったが、
83歳にして、こんなみずみずしい絵が描けるのかと、そのエネルギーに圧倒される思いだった。

西永福にあった土牛先生のお宅へは、撮影やら題字のお願いごとなどで、
何度かお伺いしているが、忘れることのできない思い出がいくつかある。
そのうちの一つは、秋山庄太郎先生に渡してほしい、と富士の絵をお預りしたこと。

その頃、業界では「土牛百遍」という、有名な言葉があって、
百回お願いに上がっても、作品は描いてもらえない、というほど、
先生は寡筆だっただけに、
お嬢様を通じて、「秋山先生にお届けしてほしい」と言われたときは、さすがに緊張した。

土牛先生は当時、90歳を越えられていて、
そのお年になられても、三十も年下の秋山先生に敬意を払われ、
礼儀を尽くされるそのお姿に、私は深い感銘を受けた。

そして同時に、
一千万円はくだらない、高価で貴重なお作品を、
私ごときに託してくださる、その信頼のお気持ちがひどく嬉しくもあり、
人間的にもますます強く惹かれていったのである。

                              (この項、続く)


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2012/10/26 15:31 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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