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忘れえぬ先達~秋山庄太郎先生

日本写真界の草分けの一人・秋山庄太郎先生とは、
30年以上の長きにわたって、お付き合いさせていただきました。
この間、撮影に同行して、全国各地をまわりましたが、
仕事だけにとどまらず、個人的にも何かとお世話になりました。

私の処女小説『幽花』(同朋舎出版)では、題字を書いていただいた上に、
出版記念パーティーの世話人までお引き受けいただき、
また、広島の従兄弟が季節料理店を出すときには、
その屋号を揮毫してもらったこともあります。
いつも身勝手で、厚かましい願いごとばかりでしたが、
先生は嫌な顔一つせず、引き受けてくれました。

先生は仕事をするとき、まったくの自然体で、
どなたとお会いしても、ほとんど変わりませんでした。
それはたぶん、自分が緊張すると、相手にも敏感に伝わり、
それがそのまま写真に出てくるので、
意識的にそう振舞っていたように思われます。

撮影に際して、
私は先生の求めに応じて、各先生方の話相手をつとめました。
少しでもリラックスした表情を撮りたいというのが、
先生の本意でもあったので、
私もできるだけ、くだけた話をするよう心がけました。

とはいえ、撮らせていただくのは、ほとんどが私よりも大先輩の、
それも高名な先生方ばかりでしたので、
何を話したらいいのか、ずいぶん思い悩みました。
多くは行き当たりばったりの、その時の気分、雰囲気次第でしたが、
撮影前の、挨拶まじりに交わす、
さりげない日常会話がどれだけ役立ったか、はかり知れません。

以来、何気ない会話一つにも、神経を配るようになりました。
今日の私が、人前でさほど緊張もせず、
リラックスして話せるようになったのは、
ひとえに先生に同行させていただいた、その体験の賜物と言ってもいいと思います。

先生とはどれだけ酒の席を囲んだか、
よく覚えていないくらいですが、
私が初めて先生にごちそうになったのが、
京都・先斗町にある、先生のなじみのバーであったことだけははっきりと覚えています。

暑い盛りの京都の町を、汗だくになりながら、
若い助手と、重たいカメラの機材を持って歩きまわった、
その労をねぎらうために、
先生が誘ってくれたのだろうと、
いまもその時の光景が懐かしく思い偲ばれます。

次回は、秋山先生が心から尊敬してやまなかった、
日本画の至宝・奥村土牛先生について書かせていただきます。


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2012/10/23 10:14 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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