旧文化学院
ゴールデンウィーク期間中は気分転換と健康をかねて、徒歩による遠出を重ねた。
片道、最低1時間は歩くと決め、お茶の水方面、中野方面、早稲田方面へと、日にちを変えて足を伸ばした。そして9日の日曜日は、お茶の水から浅草橋を経て、錦糸町まで歩いた。
疲れるようなら、帰りは電車に乗るつもりだったが、さいわい杞憂に終わった。
今回の遠出は、いずれも買い物や所用ついでのところがあって、散策というわけではなかった。
それでも道中、史蹟や建造物、神社、庭園などを目にすると、足を止め、故事来歴に目を通したりして、にわか勉強ならぬ、梅木学問(うめのきがくもん)にひたった。
「梅木学問」とは、梅の木は初め生長が早いが、大木にならないところから、 にわか仕込みの不確実な学問のことをさす言葉だが、それでもただ素通りするよりは、何か心に残るものはあるだろう。
袖触り合うも多生の縁、というやつだが、その日そのとき、出会ったり、目撃するのは決してたまたまではない。意味があるからこそ、その道を歩いていたのだと思いたい。
その伝のような話だが、ひと月くらい前だったか、JRお茶の水駅からほど近い、「とちのき通り」をぶらついたとき、昔懐かしい「旧文化学院校舎」が目にとまった。
そこは現在、BS11の本社(日本BS放送株式会社)ビルになっている。旧校舎はすでになく、アーチの入り口部分が残るのみだったが、たたずまいはシュールっぽくて、どこか文学的な香りを放っているように感じられた。
私は瞬間、制作中の詩文画集にポートレートを載せるのなら、この場所をおいてないと直感した。美術と文学のコラボに似つかわしい恰好のシチュエーションに思われたのだった。
カメラマンの久保田くんにその旨伝えると、早速、ロケハンに行ってくれて、「撮る場所にもよりますが、晴れよりも薄曇りのほうがいいですね」と言った。
ただ、建物の入り口に「関係者以外立ち入り禁止」の看板が立っていたので、撮影許可を取らないといけない。はたして許可がすんなり下りるか、ちょっと心配だった。
後日、プロデューサーの中野さんに会った折、その話をすると、その場ですぐにBS11本社に電話をしてくれた。知り合いがいるらしく、たちまちこちらが希望する日にちで撮影許可がおりた。
当日、BS11の企画部長さんがご丁寧に挨拶に見えられた。映画、演劇の制作、興行、配給を手掛ける「天下の松竹」の看板はさすが、と私と久保田くんは顔を見合わせたものだった。
懸念された天気も、望み通りの曇りがちの空模様だった。午前中の撮影ながら、構内に柔らかな光が差し込み、タイムトリップしたような空間が生まれた。空気感が違った。
私はそれまで気づかなかったが、遺構のようなレトロな窓には人物をつつみこむような光が似つかわしいことを、久保田くんは見抜いていたらしかった。
撮影はとどこおりなく終えた。
おかげで、アップから俯瞰まで、時代の息吹を感じさせる写真が撮れた。出来上がりは作品集を見てのお楽しみだが、モノクローム仕立てのカットは、久保田くんの腕と同時に、歴史的建造物のおかげでもあろうか。
時代を生き抜いてきた建物のアイデンティティーはすごい。
人をひれ伏させる、命の叫びが脈打っている。
高望みかもしれないが、私の詩文画集も、過去から未来へと連なる、いわば時空を超えた作品集にならないものか、と制作に関わるスタッフ一人一人の顔を、祈りと感謝の気持ちを込めて思い浮かべたものだった。
2021/05/11 10:20 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
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