時空の旅
平成を継ぐ新元号が決まった。
「令和」という言葉の典拠が万葉集と知り、得心がいった。
私のなかに流れている血は、日本の風土に培われ、いまに息づいている。
何かの折々、古典文学をひもとき、時空の旅を享受して倦むことがないのは、
個人的な感興に拠るところが大きいだろうが、
それはまた、血のさだめであろうかと思わぬではない。
いまの仕事に手を染めるようになったのも、自分の意思というよりは、
目に見えない何かに突き動かされているような気がしてならない。
学生時代、柿本人麻呂の一首を取り上げ、同人誌に寄稿したのは若気の至りばかりではない。
ものを造り、書き、描き、奏で、舞い、紡ぎ、織り、塗り、語り、彫り、撮る……それら一連の芸術的素養は、私見ながら、
先祖から受け継いだ、いわば血のなせる技ではあるまいか。
私が折に触れて、芸術作品というのは頭でつくるものではなく、身内からにじみ出るものだとするのは、ひとえにそうした思いに基づく。
「令和」が梅の香と浅からぬ縁を持つようなので、
以前、詠った詩の一篇を引っ張り出してみた。
凍てつく寒さにあって、りりしく咲き薫る梅は高貴なまでに美しい。
白 翳(はくえい)
木の花はこきもうすきも紅梅、と清少納言は詠(うた)った。
白銀に映える紅(くれない)に、
平安の才女は燃えたぎる血潮を感じたか、
艶なる色香を好んだか。
ならば、ぼくはこう詠おう。
寒天に凛とさやかな白梅、と。
雪国育ちなのに、
寒さには弱いあなただったけれど、
その清冽な気品は、
孤高の士のごとく、
匂い立つがごとく。
2019/04/02 09:19 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)