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作家の礼儀

うなされる、というといささか大げさに過ぎようが、
いくつもの原稿の締め切りに追われ、あせりまくっているなかで、目がさめた。
まじかよ、とぼやいている自分の声が耳に残っている。

夢とわかって、じきに不快感は薄らいでいいはずなのに、
いっこうにそうならないのは、それが夢ばかりとは言えないからだろう。
来月から8月にかけて、びっしりスケジュールが詰まっている。

扇子の仕事を始めるようになって二十年足らずだが、
いまだかつてこれほどたてこんだことはない。
ちゃんとこなせるのか、楽天家を自認する自分が夢に見るくらいだから、内心ではかなりプレッシャーを感じているようだ。

ざっと予定表をめくってみると、
5月19、20日が石川県輪島市の正覚寺、
5月23日から7月3日は、京都高島屋6階の大垣書店の展示ブース、
5月25日、26日、27日は、金沢市の「カフェ&ギャラリー三味」、
6月20日から28日は日本橋三越本店4階和雑貨サロン、
7月12日から8月12日は、シンガポール・マンダリンギャラリーの「atomi」、といった具合である。

いそがしいのは、持ち込まれた話を断らなかった結果でもあるが、こちらから働きかけていた面もなくはないので、お断りできるはずはない。むしろ、多忙に感謝するのが、作家の礼儀でもあろうか。

実際、日本橋三越本店の個展はことしで14年続けての開催なので、毎年のことと心得ているが、今回は例年よりも会期が二日長い。それだけ期待されていると思うと、いつにもまして気合いが入ろうというものである。

私の展覧会は、扇子と花扇画とのコラボが多い。
用の美である扇子に加えて、目の慰み、心の癒しとして、花扇画の魅力を知ってもらいたい、そして願わくはそこに、文学の香りを付け加えたい、というのが私の変わらぬ思いでもある。
作品一点一点に「詞書」を添えているのは、そうした理由もあってのことである。

私の古い友人の一人である日本画家は、絵を描くときはいつも、遺作のつもりで向かっている、と公言してはばからない。
勇ましく、恰好いい言葉に、口先だけだと揶揄する向きがあるかもしれないが、実直で誠実な彼を、私は一度たりとも疑ったことはない。というよりも、堂々と言ってのけるその気構えを、うらやましくさえ思っている。

はたして、自分にそこまでの気魄と覚悟があるか、と自問すれば、はなはだ心もとないが、人の心に灯りを燈すような作品を紡ぎたい、とはいつも願っている。その思いに嘘偽りはない。
人の胸を揺さぶるような作品を生み出すには、どれほどのエネルギーが必要なのだろうか。

うまいとか達者だけでは、人の胸をうつことはできまい。
人間としての素養、思想が塗りこめられて、初めて作品に命が宿る。
線一本、色一つ、言葉一句、音一つ、身振り一つに、作者の血が通い流れている。
芸術とはそういうものだろう。

人それぞれに、それぞれの人生観があるように、芸術観もまた一様ではないけれども、
いのちの尊さ、生きるよろこびを、作品を通して伝え、共有する、
いわば、魂のつながりにこそ、芸術の存在意義があろう、と私は思うのである。




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2018/04/15 08:42 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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