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千慮の一失

どんなにすぐれた智者でも、
完璧ということはなく、
たまには失敗することもある。
千慮の一失」ということわざの意味である。

弘法も筆の誤り、も似たような意味だが、
この言葉を思い出したのは、
先日、日本画家・平山郁夫先生の奥様が、
東京国税局から遺産隠しを指摘されていた、とのニュースを耳にしたからである。

奥様はすでに修正申告されたとのことで、
平山先生ご夫妻に、一方ならぬお世話になった自分としては、
この話がこれ以上、
野次馬連中の口の端にのぼらないことを願うばかりである。

美術雑誌の編集者時代
私は鎌倉の平山郁夫先生のご自宅に、
しょっちゅうお伺いし、
お手伝いさんとも顔見知りになるほどであった。

広島で被爆した平山先生には、
私が同郷の被爆二世だということで、
多少、ひいき目で見てくれたところがあるかもしれない。
奥様にも何かとご厚誼を頂戴した。

平山先生のTVドキュメント番組では、
アートコーディネーターとして参加し、
ご夫妻に同行して、
飛行機、列車を乗り継ぎしながらインドの各地を訪ねた。

タール砂漠のほぼ中央部にある、
辺境の城塞都市・ジャイサルメールというオアシスの町に入ったときは、
炎天下、岩場の上で先生がスケッチされるその傍らで、
大きな日傘を差し、制作のお手伝いをさせていただいたこともある。

余談だが、この時の体験記を雑誌に書いたら、
他の用件で電話を頂戴した東山魁夷先生の奥様が、
その記事を読んでくださっていて、
「とてもよかったですよ」と褒めてくださったのは、
いまも忘れられない思い出となっている。

後年、広島のそごう百貨店で、
平山先生の展覧会が開催された折には、
主催者である中国新聞社やテレビ局、デパートの名士の方が居並ぶ中、
平山先生の奥様のご配慮で、
私の母と叔父を壇上に招いてもらったことがあった。

それまで、両親や叔父への孝行など、
ほとんどしたことがなかった私だが、
この時ばかりは、母も叔父も大感激し、
あらためて先生ご夫妻に、心から感謝したことではあった。

平山先生が逝かれてもう6年になるが、
先生の笑顔や制作中のお姿などが、
今更ながら懐かしく思い出されてくる。
奥様にはいつまでもお健やかにお過ごしいただきたいと願ってやまない。

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2013/08/05 10:42 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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