忘れえぬ先達~東山魁夷先生
絵は人なり。
日本画家・東山魁夷先生を思い出すたびに、いつもその感慨を強くしています。
心が洗われるような、清浄にして典雅な作品は、
人格者としての先生のお姿そのものと言えます。
先生には、千葉県市川市のご自宅で何度かお会いしましたが、
高僧を思わせる、おだやかで澄み切ったまなざし、
一言ひと言を大切にお話しされる、謙虚で誠実な物言いは、
「徳の高さ」がにじみ出ているようで、一挙手一投足が教わることばかりでした。
奈良・唐招提寺に、先生の代表作の一つ『御影堂障壁画』があります。
その作品を前にして、先生のお姿を撮影するため、
写真家の秋山庄太郎先生とご一緒したことがあります。
その時は、私が勤めていた美術雑誌の社長も同行していましたが、
撮影に先立って、森本孝順長老(当時の唐招提寺住職)にごあいさつした時のこと、
「このたびはお世話になります」と東山先生は深く頭をお下げになり、お寺にご寄進をされました。
それを見た社長と私は一瞬、青ざめました。
不覚にも、そうした配慮を失念し、何の用意もしてこなかったからです。
そうしたら、先生がおもむろに、
「こちらは○○さんからお預かりしたものでございます」
弊社の名前をあげて、もう一つご寄進の封筒を差し出されました。
汗顔の至り、とはまさにこのことで、
先生はあらかじめ、わが社の分まで用意してくださっていたのです。
私はあらためて、先生の細やかな心くばり、深い配慮に胸を打たれました。
先生に非礼をわびますと、
「差し出がましいことをしました」と、
どこまでも腰を低くされたのには、かえってこちらのほうが言葉に困るほどでした。
人間としていかにあるべきか、
私は東山先生の姿、ふるまいを通して、多くのことを学びました。
先生にはその後も、何度かお目にかかりましたが、
なぜか、先生にご迷惑をおかけした、そのお詫びのために伺うことが多く、
不思議な巡り合わせを感じずにはおれませんでした。
そうした時、いつも先生のそばに奥さまがおられて、
「吉本さん、気になさらなくていいのよ」と、
慈愛に満ちた、温かいお言葉をかけていただいたことも、
今では忘れられない思い出となっています。
思えば、東山先生とはお仕事よりも、
どこか漫画のような、笑い話めいた話のほうが多く、
自分でも、その役まわりに苦笑せざるを得ませんでした。
その「笑い話」については、
また別の機会に譲ることにして、
あらためて、この欄を通して、東山先生ご夫妻にお礼と感謝の言葉を述べさせていただきます。
スペースの関係で、文章がいささか舌足らずになりますこと、
お許しください。
次回は、写真家の秋山庄太郎先生です。
2012/10/22 10:42 | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)