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欠かせない儀式

花を題材にしている、いないにかかわらず、
自らが描いた絵を、すべて「花扇画(かせんが)」と名付けているように、
私の絵の主たるモチーフは草花である。

絵をはじめる前は、
特段、花好きだった、というわけではないが、
描くにつれて、花の種類、名前を覚え、親しみが増していった。

ただ、十数年も描き続けていると、
似たり寄ったりの作品ばかりのようで、
作家としては、怠惰停滞のそしりを免れない気がしないでもない。

それを思うにつけ、
50年、60年と描き続けている、幾人かの先達(せんだつ)の仕事が思いなされ、
畏敬の念がいやでも深まってくる。

そのレベルまでくると、仕事そのものが好きであるばかりでなく、
もはや“宿業(しゅくごう)”と言ってもよさそうだが、
しかし、自分の仕事に対して、
「業のようなものですよ」と笑って言えるとしたら、けだし本望だろうとは思う。

そういうすさまじい生き方から見れば、
たかだか十数年のキャリアで弱音を吐くようでは、
自ら非才を認めているようなものであろうか。

そこで自省を込めて、
新たなモチーフ、題材を求めていた折も折、
ある人から「水仙」を描いてほしいと頼まれた。


        清雅(水仙) 14×10㌢
  初めて描いた水仙の絵『清雅〈スイセン〉』 14・8×10㌢


水仙はなぜか、これまで一度も描いたことがない。
ただ縁がなかった、というにすぎないが、
寒空に凛と咲く花を見ていると、気高さ、気品が感じられて、
なぜ描かなかったのか、自分の審美眼が疑われてくる。

水仙には、「長寿花」「雪中花」の異名があり、英語名はナルシス。
そう、「ナルシスト」の語源である。
花言葉の「うぬぼれ「自己愛」はそこからきているのだろう。

しかし、白花のそれは「神秘」「尊重」とあり、
あらためて見ると、たしかにそう思わせるような清凛な雰囲気がある。
描くよりもいつまでも眺めていたい、そんな興趣すらわいてきそうだ。

私はいったいに、
こうした心のプロセスを経て、描きはじめることが少なくない。
心が動く、それが創作意欲の引き金であることを体験的に知っている。

もっとも、だからといって、
いい作品ができるという保証はないが、
少なくとも、私には欠かせない儀式とは言えようか。

掲載の『清雅〈スイセン〉』は、私が初めて描いた水仙図である。
一般的には、日中に咲いているイメージが強いかもしれないが、
私には月夜にほの浮かぶシーンが似つかわしいように思われる。

はたして、くだんの方は、
この絵を気に入ってくれるだろうか。




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2017/01/23 07:48 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

『夢一夜(ゆめひとよ)』展

急な思い立ちでもあったので、
はたして開催できるか、心配したが、
11月23日(祝・祭日)から27日(日)、
ギャラリー&バー ノン・フィニート」(新宿区市谷台町8-2 ルシエールハル1階)で、個展をやることになった。
都営新宿線の曙橋駅から徒歩四、五分の場所である。

当ギャラリーの猪又さんとは、
ことし7月に他界された「tsukiji無玄流」の染谷道夫さんを通じて知り合った。
一昨年だったか、初めてお目にかかった折、
「いつか、うちで個展を」とお誘いを受けていたのだが、
怠惰な私は生返事をするにとどまっていた。

それがこの夏以降、
近所に住む方々の声やら、懐かしい人との再会などもあって、
にわかに個展をやろうと思い立ち、
猪又さんに相談したところ、こころよく応じていただいたのだった。

ノン・フィニートさんはうちから歩いて10分ほどの近さである。
これなら、第三者の手をわずらわせず、
自分が何往復かすれば、作品を搬出入できるし、
また、猪又さんのところでやれば、
染谷さんへの供養、レクイエムにもなるだろうと思った。

その意味では、今回はプライべートな要素が強く、
恒例の日本橋三越で開いてきたものとは、趣きが違うかもしれない。
しかし、絵や詩を数多く並べるつもりなので、
私の芸術観、人生観が見て取れるのではないかと思っている。

今回の個展のタイトルは、
吉本忠則の『夢一夜(ゆめひとよ)』展~扇子作家が紡ぐ絵と言の葉による心象風景~
“夢一夜”というのは、たしか歌の曲名にもあったと思うが、
若いころから、夢見がちなところがある私はいつか、
この言葉を題名にした小説なり、詩集を出したいとかねがね思っていた。

展覧会には、扇子・卓扇画・花扇画・詩扇画・詩など、約50点を出品する。
壁面の寸法をはかってはいないので、
すべてが飾られるか、わからないが、
小品が多い自分には似つかわしい会場といえるだろう。

ギャラリーは入ってすぐのところに、
L字ふうにカウンターが据え付けられているので、
通りから見ると一見、カフェのように見えるかもしれない。
カウンターの対面、つまり入って左手のこじんまりとした部屋が展示空間になっている。

コーヒーやお酒を飲みながら、くつろいだ雰囲気の中で、
ゆっくりご鑑賞いただけたらと思うが、
作品は展示即売するので、
お眼鏡にかなうものが見つかればさいわいである。

唐突な申し出にもかかわらず、
祝祭日を中心にした会期を設けていただき、
猪又さんへの感謝は尽きないが、
初めての会場で、どんな出会いが待っているか、
素敵な出会いとともに、
人と人の縁の輪が大きく広がっていくことを願ってやまない。



2016/10/13 07:12 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

短期集中型

梅雨に入ると、
急に身辺が気ぜわしくなる。
恒例の日本橋三越本店本館での個展が始まるからである。

ことしの会期は6月15日(水)~21日(火)。
本館4階の和雑貨サロン、下りエスカレーター前が、
いつか私の売り場の定位置になった。


    2016年日本橋三越個展DM
    吉本忠則「扇子・花扇画」展
    会期=平成28年6月15日(水)~21日(火)
    会場=日本橋三越本店本館4階 和雑貨サロン
    時間=午前10時30分~午後7時30分


下りのエスカレーターから、
売り場が見えるので、目に付きやすいし、
人の流れも申し分ない。

早いもので、日本橋三越本店の個展開催は、
ことしで12年目になる。
十年ひと昔というが、月日の流れの速さにあらためておどろく。

ことしは三越さんの要望もあって、
男向きのデザインに力を入れた。
渋い色調のものが目に付くかもしれない。

もっとも、私はデザインに関しては、
男性女性を意識してつくることはない。
「男女兼用」が私の基本的な立ち位置である。

色やデザインの好みは人さまざまであって、
気に入れば、使えばいいだけの話である。
人の目を気にすることもなかろう。

もし、男女の差別化があるとしたら、
寸法の違いであろうか。
私のふだん使いの扇子は、7寸5分と6寸に分けられる。

6寸は茶扇子大なので、
男性の汗かきの人には、物足りないかもしれない。
しかし、知り合いの男性は好んで6寸扇子を愛用している。

また、こだわりのライフ・スタイルをお持ちの、
ある女性は7寸五分の、
しかも渋いデザインのものがほしい、と去年、話していたが、
今回の出品作品のなかに、お気に入りは見つかるだろうか。

そんなことを、あれこれ考えながら、
じつはいま、新作の銘や詞書、撮影に追われていて、
尻に火がついている。
ブログどころではない、というのが本音である。

ところが、持って生まれた悲しい性で、
この期に及んでも、なかなか一つのことに集中できない。
じきに、休憩をはさみたがるのはどうしたものか。

私は短期集中型らしく、
文章を書く時も、絵を描くときも、
一二時間も続けると、じきに脳の酸素が欠乏してくるらしい。

何とも厄介な体質というか、癖というか、性分だが、
もうこの年になっては、いまさら修正は不可能だろう。
焦らず、過たず、マイペースを貫けばいいことなのかもしれない。

そう自らを慰めながら、
会期中はなんとか、梅雨の中休みであってほしいと、
ひそかに願っているところである。





2016/06/07 12:54 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

ささやかな伝道師~卓扇画(たくせんが)に寄せて

最近、手のひらサイズの小品を描き続けている。
卓上に飾られる大きさなので、これまで卓上絵という言葉を使ってきたが、
私の作品であることがわかるように、
“扇”という字を入れ、「卓扇画たくせんが)」と命名した。

私の正直な気持ちを言えば、
マスコットというか、ペット感覚で親しんでもらえたらと思っている。
室内にただ飾るのではなく、
たとえば、旅のお供として、気軽に持ち歩いていただくのも一興だろう。

卓扇画は基本的に、壁面に吊るすのではなく、置物としてつくられている。
「扇面」(額寸13,6×18,7㌢)と「角判」(額寸17×21,5㌢)の二種類があり、
いずれも、小さなカバンにも入る大きさである。
かさばらないので、持ち運びも容易である。

私は長く、美術雑誌の編集に携わってきたが、
常々、多くの一般家庭が、「絵のある暮らし」とはほとんど無縁であるのを、
寂しく残念に思っていた。

それには住宅事情や、ライフスタイルなど、
いろんな理由が考えられるが、
いちばんの原因は、美術品が必需品ではなく、「嗜好品」だからであろう。

こればかりは、個人の趣味感性にかかわることなので、
何ともしがたいところではあるが、
しかし考えてみれば、美しいもの、心惹かれるものを、
身近に置いておきたいと願うのは、人間の本能でもあろう。

それを思うと、嗜好品といえども、
多くの人にとっては、無縁のシロモノなどでは決してない。
要は、品物(作品)そのものに、
買い手の気持ちを突き動かすだけの魅力があるかどうか、その一点にかかっているといってもいい。

不遜にも、私が絵を描くのは、
日々の暮らしに潤い、ぬくもりを持っていただけないかとの思いがあってのことで、
「卓扇画」はじつは、そうした私のささやかな伝道師でもある。

絵画というと、なかには「芸術」を連想し、
小難しいとか、高額といったイメージを持つかもしれないが、
私はあくまで、自分の作品はインテリアだと思っている。

知識や素養に関係なく、
ただ素直に、喜び、いつくしんでもらえるような作品をつくりたいというのが、
一貫した私の主義主張である。

折あらば、好き嫌いにかかわりなく、
一人でも多くの人に、私の作品を間近で見ていただき、
自分の手元に置くなり、贈り物としてご利用いただけけるなら、
作者としてこれに勝る喜びはない。



2015/08/31 09:46 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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