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知恵者

去年より10日あまり遅れて、鉢植えの水仙が一輪だけ花開いた。
ちょっと横向きに咲いたところは、どこか気恥ずかしそうでもある。
まわりには、黄い味を帯びたつぼみが7,8輪、今や遅し、というふうに待ち構えている。この様子だと、午後あたり、陽気に誘われていっせいに咲くかもしれない。

天気予報によると、きょうの都心は4月中旬並みの暖かさになるとか。
季節を一月半ほど進めた風だが、朝の予報で「朝晩はひんやり」とテロップが出ていたのには苦笑させられた。
いくら日中の気温が上がるとは言え、この時季に「ひんやり」という言葉はないだろう。

そう表現したくなるほど、日中の気温が上がる、ということを言いたかったのかもしれないが、もっとほかに言い様はなかったか。
表現の貧困という言葉がよぎった。
朝の気温は3度で、ひんやりどころではない、冬の寒さが続いている。

ひんやりというのは、夏の暑さが和らぎ、朝晩が涼しく感じられる様を言い表す秋の季語である。
冬の終わりとはいえ、この時季に使用する言葉ではない、と言おうとして、ハッと手を止めた。

もしかしたら、気象予報士さんは、季語をわざと誤用し、きょうの馬鹿陽気を伝えたかったのかもしれない、と。
だとしたら、なんという策士、知恵者であろうか。
真偽の程は当人に確かめるよりないが、気象予報士たるもの、季語には敏感であってほしいと思ったことではある。

ここ何週間か、書き物に徹していて、気分転換を兼ねて、ブログを更新することにしたのだが、書き始めると、いろんな思いが乱れ揺らめいて、脳を休めるつもりがかえって神経をとがらせる羽目になった。
気分転換、と言うなら、何よりもパソコンから離れ、春風に肌をなぶらせるのが一番だろう。




2023/02/28 09:00 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

真打ち登場

十年に一度のきびしい寒波に襲われた日本列島。
南向き北向きを問わず、窓ガラス全面に結露がはびこっている。
都心は、積雪の恐れはなくなったが、凍結事故や飛行機、電車等のキャンセル、遅延が案じられる。
自然災害に弱いとされる大都市圏だが、ライフラインだけは順調に機能してほしいものである。

今週の23日(月曜日)は、東京広島県人会の新春懇親パーティーに出席した。
会場はセルリンタワー東急ホテルのB2階「ポールルーム」
会場が午後5時、開宴が6時ということで、同伴者の松竹の中野さんと5時40分に会場入り口で待ち合わせた。

渋谷の街が激変していることは知っていたので、遅れまいと早めに出たのに出口がわからず、10分ほど遅れてしまった。
しかし、中野さんも電車に乗り遅れたとかで、二人が会場に入ったときはすでに宴は始まっていた。

去年はコロナ禍の影響で、開催が4月下旬にずれこみ、人数も大幅に縮小されたが、ことしは予定通り1月に開催された。
昨年よりも参加者が多く、1000人は超えていたかもしれない。
広島にゆかりの各界著名人が数多く出席されて、大盛会だった。

スポーツ関係では、サッカーのサンフレッチェ広島、バスケットの広島ドラゴンフライズ、女子硬式野球のはつかいちサンブレイズの関係者、選手が登壇したが、とりわけ人気が高く、拍手が多かったのはやっぱり、広島カープだった。

新井貴浩新監督が元気よく決意と抱負を述べれば、カープOBの山本浩二さん、小早川毅彦さんが新監督にハッパをかけていた。健康が心配された山本さんもお元気そうなのは何よりだった。

今回の宴で会場が一番沸き上がったのは、岸田総理の登壇であった。まさに真打ち登場である。
公式の場では、揚げ足をとられないよう慎重の上にも慎重な語り口の総理も、この日だけは身内の集いとあってか、ワールドカップでの日本の活躍や、カープへの期待、G7サミット(5月に広島で開催)に向けての決意を、力強く、弁舌さわやかに語られた。

私は事前に、総理がことしは来られることを聞かされていたので、吉本扇子をお持ちいただいているよしみもあって、一言でもご挨拶できないかと思っていたが、とんでもなかった。
壇上から降りられる前から、すごい人だかりで、近づくことさえできなかった。

世論調査によると、内閣支持率は低空飛行を続け、マスコミ受けも必ずしも良くないようだが、G7が広島で開催されるとあっては、県民一丸となって応援せねばなるまい。
それが郷土愛というものであり、ことしの新春懇親パーティーの開催意義でもあろう。

もとより、郷土愛よりも、日本国愛だろうという声が聞こえてきそうだが、人間は最も身近な人との絆が命綱である。
血肉を分けた家族、肉親縁者、知己友人の存在に勝る活力源はない。
宰相といえども、人の子である。

この夜は、松竹の中野さんに、ホノルル広島県人会会長のウェイン・ミヤオさんご夫妻を紹介してもらった。
ご夫妻は大の歌舞伎ファンで、中野さんとはご昵懇ということだった。
ハワイでの個展がいちだんと身近になったようで、ことしこそなんとか実現したいものである。




2023/01/25 14:02 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

頬ずり

長年、愛用してきた電気ストーブがついに寿命を終えた。
前日までは平気だったのに、朝、スイッチを入れようとしたら、うんともすんともない。
まったく無反応である。

思えば、購入したのは、平成に入って間もない頃だったから、30数年前にさかのぼる。
この種の電化製品の耐用年数がどれくらいか、利用頻度にもよろうが、長寿であったことは確かだろう。
よくぞ頑張ってくれた、とねぎらいの言葉のひとつもかけたくなってくる。

購入した大手電気店は、かつてはTVコマーシャルを頻繁に流していたが、時代の波に飲み込まれ、電気ストーブよりもかなり前に命運尽きた。
栄枯盛衰は世の習いとはいえ、人間にしても企業にしても、生き抜くのはたやすいことではない。

コロナ禍は依然として収束の見通しは立っていない。異常とも言える物価の値上がりが、庶民の暮らしを直撃している。
生きづらい世の中になった、と愚痴の一つもこぼしたくなるが、悲憤慷慨したところで現実が変わるわけではない。
生きる術(すべ)は自分で習得するよりない。

この数日、東京はすっきりしない天気が続いている。
晴れ間があっても、すぐに雲に覆われるというふうで、けさもベランダが濡れていた。
夜中なのか、朝方なのか、雨音が耳に入らぬほどの、弱い通り雨があったようだ。

しかし、明るんでくるにつれて、一気に青空が広がった。
今日は久しぶりに、一日中、晴天になりそうだ。
気温もこの時期にしては高めのようだ。というより、暖かいと言ってもいいくらいだ。

一年で最も寒いとされるこの時期にあって、太陽のありがたさが身にしみる。
北風は冷たいが、窓越しの冬の陽だまりの心地よさは格別だ。
思わず、頬ずりしたくなる。

陽は東よりのぼり、天空をまたぎ、西のかなたに沈む。
太陽が顔を見せなくても、自然の法則に狂いはない。
森羅万象、人間は自然によって生かされている生き物だということを、今さらながら実感するのである。


2023/01/20 08:50 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

華甲祝い

早寝早起きの習慣が身について、今朝も5時過ぎに起き出した。
外はまだ真っ暗だ。
真冬のこの時期、もう少し布団にくるまっていればいいものを、と思われそうだが、時間の重みをかみしめる年齢ともなれば、寒さなどに怖じ気づいてはおれない。

若い頃は寒いのが苦手だったが、いまはさほど苦にならない。
屋外に出るわけではないし、前夜の暖房の余熱も残っている。
体質の変化もあるかもしれないが、要は覚悟の程、気合い一つということであろうか。
何事も、なせばなる、である。

私の場合、夜よりも早朝のほうが仕事がはかどる。
物音一つしない、しんと静まった部屋で、絵を描いたり、小説を書いたりしていると、昼間では味わえない、心身が引き締まるような充足感をおぼえる。

新年を迎え、やりたいこと、やらねばならないことがいろいろある。
書き物は今に始まったことではないが、ことしは早々と絵筆を握った。
昨年の暮れ、なじみの呑み処に顔を出した際、店主が年明け早々に還暦を迎えると聞き、お祝いに花扇画を贈ることを思いついたのだった。

その作品ができあがり、近々、届けに上がるつもりだが、はたして気に入ってもらえるだろうか。
贈る側としては気になるところだが、長寿を言祝ぐ気持ちが伝わればそれで十分だろう。

還暦は文字通り、60年で「干支(えと)」が一巡し、「生まれたときの暦に還る」ことに由来する。
テーマカラーである「赤」は、古くから魔よけの力があると信じられ、産着にもよく使われたのが縁起のようだ。
赤いちゃんちゃんこは、贈りものの定番である。

それにしても、いまどきの60歳はじつに若い。
長寿社会と言われて久しいが、60歳は現役バリバリの働き盛りというのが、私の素直な感想である。
その人のライフスタイルにもよろうが、老いというイメージはまったく浮かんでこない。

それでも「還暦」と聞くと、どこか年寄りじみたイメージがつきまとう。
そんなこともあって、私は「華甲(かこう)」という言葉を使うようにしている。
華の文字が十が六つと一が一つあることと、干支の一番目が甲子(きのえね)というので、二つの意味で還暦になる。

いわば言葉遊びの一種だが、還暦に比べて、華やかなイメージがあるのと、一般的に知られていないところがかえって面白い。
華甲祝い、まだまだ若々しくありたい人に贈りたい言葉である。
くだんの店主はどんな反応を示すだろうか。


2023/01/08 09:45 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

時間の重み

ことしも残すところ、あと二週間となった。
令和4年は自分にとって、はたしてどんな年だったろうか。
一年を振り返るには少し早すぎる気がしないでもないが、この時期になるとなぜか感傷まじりの感慨がよぎる。

ことしを思い返すに、可もなく不可もなくというのが正直な気持ちだが、コロナに罹らず、こうして健康に過ごせてきたことを思えば、よろこばしき一年であったといえようか。
この二三年、コロナ禍に翻弄されてきただけに、健康のありがたさが身にしみる。

先々週から今週にかけて、出歩くことが続いた。
朝早くからの打ち合わせもあれば、数十年ぶりに顔を合わせるOB会があったり、YouTubeの生出演に誘われたり、気心のしれた仲間との忘年会などなど、かなりハードなスケジュールだった。

メンバーが違えば、話題も場所も違うのは道理だが、それぞれに満ち足りた時間を過ごせたのは何よりだった。
とりわけ、多くが来年、再来年につながる仕事関係の話で盛り上がったのは、「生涯現役」を標榜する身にすれば、これにまさる活力剤はない。

コロナ禍の影響もあって、近年は外出する機会がめっきり減ったが、今回のように立て続けに出かけると、人と交わることの大切さを思い知らされる。
家にこもってばかりいては、生気がじょじょに減退していく。
人間はやっぱり、他者から刺激を受けることによって、感受性を豊かにする生き物だということを実感する。

今から来年のことを言うと、鬼に笑われそうだが、覚悟と決意に早いも遅いもない。
出不精をあらため、来年はすすんで自然の息吹を求め、人とふれあい、士気を高めていきたいと思う。

歳をとると、時間が早く過ぎ去るように感じるらしい。
それは刺激が少ないからだ、と何かで聞いたことがあるが、老化というのは感受性が鈍くなるということでもあろうか。
認めたくないが、たぶん事実にちがいない。体力の老化よリも、精神の枯渇の方が私にはよほど怖い。

生きている人間の特権は、時間を自由に調整できることでもあろう。
時間とは、人生そのものに他ならない。
時間をおろそかにすることは、命を粗末にするに等しい。


2022/12/16 08:31 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)