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至難の業

新型コロナ騒動の渦中に開催された、ことしの日本橋三越本店の個展
長引く梅雨や自粛要請などで、不安を抱いてのスタートだったが、結果はこちらの予想を上まわるもので、何とか面目を保つことができたのは何よりだった。
人出はいつもに比べて少なかったものの、一見のお客様が幾人も来られ、新しいご縁を結ばせていただいた。

病院の理事長さん、雅楽にゆかりの女性、人気の金融トレーダー、物静かな公務員の青年……と、年齢も職種もさまざまで、
あらためて日本橋本店の底力を垣間見たようで、人と人の出会いの不思議に大いに感じ入ったものだった。

なかには、卓扇画をお求めになられた翌々日の朝、
回転台に展示してあった線香花火の扇子はまだありますか、と問い合わせてきたご婦人もあった。
開店と同時に、売り場に電話をしてきたくらいだから、よほど気に入られたのだろう。

ご婦人は埼玉の大宮のほうにお住まいで、その日、身内の墓参りをすませたあと、夕方頃に伺うとのことだった。
だが、6時半を過ぎても見えないので、気をもんでいたら、
閉店10分くらい前に、息せき切らすふうにして見えられた。

ご婦人は、時間が遅くなったことを詫びられたが、恐縮するのはむしろこちらの方だった。
コロナの影響で多くの人が出控えるなか、電車を乗り継いで、私の作品を求めて、埼玉からわざわざお越しいただいたことを思うと、感謝の気持ちでいっぱいだった。

しかも、最終日のその時間帯は、なじみのお客さんが三組もあって、ゆっくりとお相手ができず、こちらとしては心苦しいばかりだった。
ご婦人は扇子だけでなく、拙著『花影』にも興味を持たれ、ポストカードと一緒にお求めになられた。
帰りがけには、来年、お寺のご住職に扇子を贈りたいとのことで、スマホで何点かの扇子を撮って帰られた。

思えば、ご婦人が最初に来られたとき、買い物袋をいくつも持っておられ、しかもずいぶん重たそうにされていた。
しかし、ご婦人は熱心に作品を見てまわられ、「びっくりしました」とか「初めて見ました」と何度も口にしながら、卓上に飾る小さな線香花火の絵を買い求められたのだった。

そして後日、再度、お越しになられたのだから、“吉本ワールド”が少なからず、彼女の琴線にふれたとは言えるだろう。

私は常々、「一目惚れ」させるような作品を描きたい、と不遜にも言い続けているが、縁もゆかりもない人が作品に魅せられ、その場で買い求めるというのは、作家にとってはこれ以上の褒め言葉はないだろう。
いくら魅力があっても、人様の財布のひもを緩めさせるのは至難の業である。

それにしても、ことしの展覧会は何から何まで手探りだった。
私のイベントは例年、三越さんのイベント情報誌に掲載されていたが、ことしはそれにかわって、今週の催し物として、館内の各フロアに設置されたディスプレイに繰り返し、映し出されることになった。


     日本橋三越本店正面玄関脇の案内板             日本橋三越本店 地下鉄入口の案内板  
日本橋三越本店正面玄関脇の案内板      日本橋三越本店の地下鉄通用口の案内板


事前に三越の担当者さんから、そのことを知らされていたが、
ディスプレイがどこにどれくらい設置されているのか、
また内容はどういったものになるのか、予測がつかなかった。

展覧会初日、売り場のすぐ目の前、下りエスカレーター脇のディスプレイに、私の扇子が色鮮やかに映し出されるのを見て、すっかり気に入った。
画像が美しく、エンドレスでその週の主だったイベントが繰り返し、紹介されるというわけである。
そこに取り上げてもらうだけで、とても栄誉なことに違いない、と胸にくるものがあった。

会場に来られた人の話では、ライオン像がある正面玄関にも、ディスプレイが設置してあって、そこでも私の扇子を見たとおっしゃっていた。
また、地下鉄に通じた出入り口にも、ディスプレイが設置されているようだった。
それを思うと、館内にどれほどの台数が設置されているのか、またどのくらい人の目にふれたのか、予測が付かない。

私はお上りさんさながらに、
自分の扇子の画像が映し出されるのを待って、あちこち写真を撮ってまわった。
もしかしたら、先のご婦人も、それを見て売り場にこられたのかもしれない、と思いながら。
機械音痴、メカ音痴の私には、何かとわくわくドキドキした一週間でもあった。




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2020/08/03 14:30 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

美しい人

私は小ぶりな花が好きである。
健気(けなげ)に、ひっそりと咲く感じの花が好きである。
扇子や花扇画に描くのも、そんなイメージの草花が多い。木花もそうした風合いのものにより惹かれる。

たとえば、萩、露草、水仙、鷺草、菫、山吹、雪柳、撫子、額紫陽花……。
木花だと、合歓、山桜、藤、梅、椿などで、日本の風土に根ざした「和花」がしっくりくるのは、身内に流れる血のなせるわざであろうか。

子供の頃は、さほど興味を抱かなかったが、といってまったく無関心だったわけではない。
生い育った祖父母の家には築山があり、ツツジや山吹など、四季の草花が庭を彩った。
池のほとりにたたずんでいる祖母の姿がいまでも目に浮かぶ。

以前、ある雑誌に、“古典文学花ごよみ”と題して、万葉集や新古今集、源氏物語、枕草子などに出てくる草花を、連載で描いたことがある。
古典文学に深い造詣があるわけではないが、自然の草花に寄せる古人(いにしえびと)の感性に、強く惹かれるところがあって、いつか文を書いたり話したりするとき、古語や大和言葉を日常用語として使う癖がついた。

遠い昔、若い女性と食事をしていたとき、「学校の先生と話してるみたい」と言われ、面食らったことがあった。耳慣れない私の話し言葉にいくつかふれて、彼女は国語の授業を受けているような感覚をおぼえたらしい。

彼女のまわりにはたぶん、私のような語り口の人間はいなくて、それだけになおのこと物珍しく感じたのかもしれない。
天真爛漫で、今風の彼女は、別に嫌みで言ったのではなく、むしろそれを喜ぶ風でもあったのだが、私には少なからずショックだった。年寄り臭く思われたかと、一瞬、背筋を伸ばしたものだった。

もっとも、話が合う合わないは、いわば当人同士の相性であって、歳の差はあまり関係ないだろう。
趣味嗜好が近ければ、話ははずむし、酒が進むのは道理である。
実際、私を担当してくれた、ある若い女性編集者は、孫と言っても良い世代だったが、美術を専攻していたこともあって、打合せがてら、飲食を共にして倦むことがなかった。

人の数はそれこそ星の数ほどにいるけれど、楽しい時間を共有できる相手となると、自分が思っているよりも遙かに少ないにちがいない。
それを思えば思うほど、茶飲み友達、飲み仲間がいかに大切で、ありがたい存在か、いまさらながら身に沁みる。

今日の東京は、朝から台風並みの強風が吹き荒れている。
怖いような突風が、神経をいらつかせる。
ベランダの鉢に勝手に生えてきた露草はしかし、打ち付けられるがまま、たくましく茎を伸ばしている。

それを見ていて、ふっと可憐にして勇猛という言葉が思い浮かんだ。
そして幾度となく、舌先でころがしているうちに、「そうか、自分が惹かれるのは、この露草のような女性かも」と、自然と笑みがこぼれてきた。
か弱そうに見える露草だが、じつは雑草扱いされるほどたくましい生命力を備えている。

花の命は短くて、というが、きれいに咲かせるには、それなりのエネルギーが必要だ。
美しい人とは、勇猛にして繊細優美な人間のことを言うのではないだろうか。
生命力の強い人ほど、光り輝くような美しい花を咲かせる、と健気な露草を見ながら、そんなことを思った。




2020/07/08 10:30 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

道行き

この二ヶ月、外出らしい外出をしていない。
電車に乗ったのは、買い物で銀座に出かけた3月31日が最後である。
それからきょう6月5日まで、一度も乗り物を利用していない。

勤め人でない私は日頃から、電車やバスなどに乗ることは少ないが、それにしてもこんなに長い間、交通機関を使わないのは初めてである。
不要不急の外出は避けるよう、行政から自粛要請が出ていることも、少なからず関係がありそうだ。

とは言っても、この間、別にストイックな生活を送っていたわけではない。
近くのなじみの店にはほぼ毎週末、顔を出しているし、散策と運動をかねて、新宿御苑のまわりを一周したり、中野のホームセンターまで足を伸ばしたり、神宮外苑をぶらついたりと、結構、気ままに出歩いている。

そして家の中にあってはふだん通り、書いたり、描いたりの創作漬けの毎日を過ごしている。
6月に予定していた「ハワイ出雲大社の個展」は早々と、来春以降に延期となったが、日本橋三越本店の個展は予定通り、開催されることになり、悠長に構えてはいられない。会期は7月22日(水)から28日(火)である。
コロナの影響がどう出るか、心配は尽きないが、まずは開催できることを素直に喜びたい。

展覧会はひと月半先だが、扇子は仕立てに時間がかかるので、図柄は早めに仕上げないといけない。
ずぼらな私もさすがに、ことしで個展17年ともなれば、作業手順は心得ている。
先月の26日に京都の扇子屋さんに発送したので、とりあえず、いまはほっと一息ついているところだ。

こんな時は気分転換をかねて、ふらっと電車か高速バスに飛び乗り、近郊の小さな旅にでも出たいと思うのだが、いざとなると足腰が重くなる。身支度を整えるのが億劫になる。
自分では、一人でいるのが好きだと言いながら、どうも一人旅は向いていないようで、もしかしたら、私はひたすら道行きの友を待ち続けているのかもしれない。

しかし、日帰りでもいいから、山でも海でも湖でも行って、自然にくるまれたいという気持ちに嘘偽りはない。
思えば、私が勤め人を辞めたのも、自由気ままに時間が使える生活を求めてのことだから、ある人たちから見たら、ぜいたくな時間泥棒に見えるかもしれない。

そこでいつも思い出すのがこの歌である。
 
 たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてくれぬか

2010年夏、乳がんで亡くなられた歌人・河野裕子さんの熱い恋情歌である。

私は自分を、直情径行型の人間だと思っているが、いざとなると意気地がなくなることがあって、とりわけ色恋沙汰になると薄っぺらな自尊心に振りまわされ、あとで悔やむことが少なくなかった。
そんなとき、自らを癒やし慰めるために、この歌を思い浮かべ、テレパシーさながらに女性に送り届けられたら、と空想に甘えたものだった。

恥ずかしながら、子供のような夢見がちな性格はいまだに変わっていない。
はたしてこんな調子で、現実の道行きは実現するのか、この歌の作者の清冽な激情がますますまぶしく、うらやましく思われるのである。



2020/06/05 14:30 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

「緊急事態宣言」に思う

新型コロナウィルスの感染に歯止めがかからない。
未曾有の危機と言っても過言ではないだろう。
どこに潜んでいるのか、目に見えない細菌が相手だけに、身を守るのは容易ではない。

話したり、笑ったり、歌ったりしているうちにも、感染する恐れがあるというのだから、何ともタチが悪い。
ましてや感染者本人に自覚がないばかりか、症状が出ていない人からも感染すると聞かされては、暗澹たる気持ちを通り越して、絶望感さえただよう。
多くの人間が疑心暗鬼になり、相互不信に陥ってしまわないか、不安は増す一方だ。

感染しないためには、人に会わないのがいちばんらしいが、ライフスタイルが複雑多様化した現代社会にあって、いつまで耐えることができるか。
逆に、家に閉じこもってばかりいては、運動不足になり、精神的ストレスがたまり、他の病症、弊害を招きかねない。自粛期間が定まらないとあってはなおさらだ。
ちょっと乱暴な言い方だが、いくら用心しても移るときは移る、と腹をくくり、行動するという選択肢もあるのではないか。

きのうの7日、東京をはじめ、7都府県に「緊急事態宣言」が発令された。
予想されたこととは言え、実際に御旗が振り下ろされると、いやが上でも緊張感が走る。
不安が不安を呼ぶ、負のスパイラルに陥らないことを祈るばかりだ。

いくら「外出自粛」を要請されても、生活が根っこに絡んでいるので、杓子定規に「右にならえ」というわけにはいくまい。
人はみな、いろんな事情を抱えて生きている。価値観も人生観も異なる。
要は個々が細心の注意を払いながら、覚悟と責任を持って行動するしかないだろう。

こんなふうに書くと、危機意識が欠如していると批判を受けかねないが、私は自分がコロナに罹らないと高をくくっているわけではないし、油断しているつもりもない。
不要不急の外出は控えているし、マスクの着用や手洗いの励行を忘れてはいない。
ただ、いくら用心しても、罹るときは罹るというのは、残念ながら、不条理な人生の常である、と私は思っている。

だからというわけではないが、先月の23,24,25日の三日間、飛行機、高速バス、在来線、船、新幹線……と乗り継ぎ、ハードなスケジュールをこなした。
23日は足立美術館の理事会に出席し、24日は安来から広島に入り宮島へ、そして25日は午前中、吉本家と母方の墓参りをすませ、夕方に東京に戻ってくるまもなく、夜は銀座で足立美術館館長とふたたび合流した。

いずれも、前々から組まれていた大事な用向きである。
このときに会った人々、交わした会話、食した料理、見届けた事象、風景は、その日そのときでしか体験できない、いわば一期一会の所産である。
大げさに言えば、この3日間のために私はこれまで生きてきたと思わぬではない。生きるとは、いまの積み重ねにほかならないからだ。

じつはその3日間に、もし感染していたら、潜伏期間の2週間後の今頃までに、症状が現れるかもしれないと聞いていただけに、今日現在、何の兆候もないようなのはさいわいであった。
私が感染しなかったのは、たまたま感染者に出くわさなかったか、いたとしても運良くすり抜けただけかもしれないが、自分の生き運が守ってくれたような気がしてならない。

人にはそれぞれ、生きていくうえでの運勢というものがある、というのは私の持論だ。
生き運は、深刻に考え込まず、自分の直感に従って生きる、言い換えれば、何事も前向きに生き抜く人により強く付いてまわる、というのが私の言い分である。

同じ環境下にありながら、ウィルスに感染する人と、感染しない人がいる。また感染しても、軽症の人もいれば、重篤化する人がいる。その違いはこの生き運の差だろう、と思うのである。

運勢の強い人は、危険を察知する能力に長けていて、災厄に対しても強い抗体を持っている。
これは自分のこれまでの来し方を振り返っての実感でもある。

私の生活は元々、家にこもってやる仕事が主なので、ふだんから人と接触する機会は驚くほど少ない。
丸一日、誰とも口をきかない、ということも珍しくない。
だから、緊急事態宣言が出たからと言って、ふだんの生活が特段変わるわけではないが、こうして元気で過ごせていられるのも、自分の命は自分で守るという自衛本能のおかげであろうかと、非常時のさなか、その思いを新たにしているのである。


2020/04/08 11:02 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

様子伺い

ウィルスにやられたか、と冗談交じりに思った。
私の身体ではない、スマホの話である。
先日、携帯から電話をかけようとしたところ、うんともすんともない。
いやな予感がして、固定電話から自分の携帯に電話をしてみたら、まったく通じない。

私はスマホを始終、いじくっているわけではないので、いつからそうなったのか、わからない。
前日はちゃんとメールを受信していたので、たぶん当日からだろうとは思うが、正確なところは不明である。

これまでだったら、あわててすぐに店頭に駆けつけただろうが、こういうときは一度、電源を切ってみたら良い、と以前、店員さんに教えられたので、その通りにしたら、何事もなかったように正常に戻った。
それにしても、いったい、何がどうなったのか、狐につままれた気分である。

そんな折も折、知友の造形作家・友永詔三さんに電話をしたら、
「この前、電話をしたけど、通じなくて」と言われた。
こちらはそんなことはつゆ知らず、用事があったので連絡したのだが、友永さんはてっきり、自分が電話を入れたので、折り返し電話をくれたと思ったらしい。

友永さんはあきる野市に住んでいて、毎月、第一、第三、第五の金曜日、新宿の朝日カルチュアセンターで木彫講座を開いている。
しかし、三月は新型コロナウィルス騒ぎで、授業がすべて中止になっただけでなく、趣味の歌舞伎見物も、芝居もすべてキャンセルになり、しばらく東京へ出向く用がなくなった。
それで様子伺いの電話をくれたらしかった。

そういえば、FBで知り合ったドイツ在住の村上綾さんからも、新型コロナウィルスの影響を案じて、心温まるメッセージを頂戴した。こういう心配りはすなおに嬉しいものである。
顔は見えなくても、声の便りや言葉のぬくもりは、送り届けられる。心が萎えたり、気持ちが塞ぎそうなときは、励ましよりも、さりげない優しさが身に沁みることがある。

この三月は童謡詩人・金子みすゞの没後90年にあたる。
東日本大震災に遭ったとき、彼女の『こだまでしょうか』という詩が、テレビの公共広告で繰り返し流されたが、そっと寄り添うような温もりに、どれほどの人が癒やし慰められただろうか。

自分の生き方を振り返ってみて、とても偉そうなことは言えないが、しかしだからこそ、自省自戒を込めて、人を癒やし、慰め、寄り添うよう作品を紡ぐことができたらと、心から願うのである。



2020/03/23 08:50 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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