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焦眉の急

今朝の都心は、澄みきった青空が広がっている。
二階のテラスから上空を見渡しても、雲一つない。
きりっとした冷え込みの、冬らしい朝である。

東京はこのところ、春本番を思わせる陽気が続いていて、面食らうばかりである。
時差ならぬ、季節差が二ヶ月もちがうとあっては、「三寒四温」の風流どころではない。
花々を見て、四季の移ろいを感じてきた日本人だが、梅と桜が同時に咲きかねない自然の変調は、何か不吉な予感が走らぬではない。

南極でも史上初めて、最高気温が20度を超したという。
こうなるともはや、地球が狂い始めているとしか思えない。
人類よ、目覚めよ、いますぐ行動せよ、と自然環境への取り組みこそ焦眉の急である、と訴えたい。

例年のこの時期なら、インフルエンザや花粉症のニュースで持ちきりだが、ことしは「新型コロナウィルス」の話題一辺倒の感がある。
専門的なことはわからないが、二次感染にとどまらず、三次感染まで疑われかねない状況を、どう克服したものか。

感染を広げないためには、なるべく人と接触しない、出歩かないことが肝要だそうだが、現代人にとっては、とりわけ都会に暮らす人間にしてみれば、それは至難の業である。
それぞれに生活があり、事情もあれば、隔離された生活を送るのは拷問に等しいだろう。

そんなことを諸々考えれば、
身勝手なようだが、日々、感染者が身のまわりにあらわれないことを願うばかりである。
いくらこちらが用心をしていても、目に見えないウィルスが相手では防ぎようもない。
こちらも焦眉の急で、国際協力して、一日も早く、ウィルス撃退のワクチンを開発してほしいものである。

ことしは年初から予定が立て込み、二月に入ってからも何かと気ぜわしい生活を送っている。
この間、親交を深めるような出会いもあれば、新たな出会いもあって、人生の彩りはひとえに人と人との出会いにある、と感慨を新たにしている。

これは私の持論でもあるが、縁深き出会いは決して偶然ではない。
どちらか一方がシグナルを送っているのではなく、双方がいわば出会うべくサインを送り続けていて、それが時宜を得て結実するのだと思っている。
それは男女の話に限らない。年齢の問題でもない。

ここしばらく、ウィルスにおびえながらの生活が続きそうだが、
現代医学の力を信じて、
必要以上に不安をつのらせることなく、日々、進取の気概を持って生きたいものである。



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2020/02/18 09:11 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

日本人の血

大寒のこの季節に真夏の話とは何とも無粋だが、
ことしで16年目を迎える日本橋三越本店での個展が7月22日(水)から28日(火)と決まった。
7月24日の体育の日から東京オリンピックが開催するので、その前日の海の日(木)から4日間の連休をはさむことになるが、はたして期間中の人の出入りはどんなものだろうか。

真夏の4連休ともなれば、酷暑を避けてショッピングを楽しむお客さんを想像しておかしくないが、夏のオリンピックは56年ぶりの開催だけに、競技場に出向く人以外は、自宅でテレビ観戦に興じる人が圧倒的に多いような気もする。
こればかりはフタを開けてみないとわからない、というのがいまの正直な感想である。

ただ、ことしは世界中から大勢の外国人が押し寄せてくることは確かだから、日本人の動向よりもむしろ、訪日客がどのように過ごすか、そちらのほうが気にかかる。
ましてや三越本店の隣には、五つ星ホテルの「マンダリン オリエンタル 東京」があり、そちらにお泊まりのお客さんの来店も見込めなくはない。

私は残念ながら、マンダリン東京には宿泊したことはないが、当ホテルのシンボルマークが「扇子」なのは知っている。
これまでも長年、お世話になっている三越のフロアマネージャーからホテルの支配人にお声がけしていただいたり、また知人がホテルのダイニングバーで働いているよしみもあって、私の個展のDMを置いていただいたりしている。

これだけでも十分、ホテルとは縁があるような気がしているのだが、はたしてこちらのもくろみ通り、宿泊客の幾人かでも会場に足を運んでくれるだろうか。マンダリンに限らず、近隣のホテルの宿泊客にもお越しいただきたいところである。

「和文化」の魅力を世界に発信したい、というのは、私の積年の願いでもある。
扇子のみならず、私の花扇画や詩、小説を一人でも多くの人に見てもらい、読んでもらい、日本文化の魅力の一端でも知ってもらえたらどんなに嬉しいだろう。

ことしの個展は海外からの観光客を見越して、「日本のこころ」をコンセプトにして、美しき日本をアピールしていきたいと思っている。
向こうの人たちには、富士、紅葉、桜が圧倒的な人気らしい。

私はこれまで、それらを凡庸だとか月並みだなどと言って、描く気などまるでなかったのだが、お客様のご希望にそって一度手を染めたら、たちまち虜になってしまった。描いていて、じつにすがすがしい気持ちになった。
いまでは私にとって、欠かすことのできない大切なモチーフになっている。

何をほざこうと、どんな理屈をこねようと、美しいものは美しい。
私の中に日本人の血がそれだけ色濃く流れているということであろうか。
血は争えない、とはまさにこのことか、とわれながら納得したことであった。



2020/01/21 10:05 | COMMENT(1)TRACKBACK(0)

令和に誓う

令和の元号になって初めての正月三が日、東京都心は小春日和を思わせるような穏やかな陽気が続いた。
暮れの大晦日、千葉や横浜で、史上初めて20度を記録したというニュースには驚かされたが、「異常気象」を異常と感じなくなるほど、「温暖化」は予想以上の早さで地球を蹂躙しているようだ。

先進国のみならず、発展途上国を含めた全人類はいま、「温暖化対策」に向けて本気の取り組みが求められている。
自然災害に翻弄されてきた日本にはとりわけ、その先陣を切るくらいの度量と本気度が問われているように思うのだが……。

さて、令和はどういう時代になるのだろうか。
東京オリンピックの開催年にあたる本年は、オリンピックの話題で持ちきりになりそうだが、私個人としては愚直に、自分を信じて、わが道を歩いて行くよりなさそうだ。創作に生きるとは所詮、そこにとどめを刺そう。

そんな私を後押ししてくれるように、昨年末、足立美術館館長から、今年の私の運勢は、「天の時到来、思う存分実力発揮のときです。節分は2月3日ですので、4日からの運勢になります。同じ運勢ですので頑張りましょう!!」と、心強いメッセージが届いた。

足立美術館はことし、開館50周年を迎える。令和の始まりがそのまま、美術館の新たな出発と重なるというのは、何か吉兆のように思われてならない。
微力ながら、私もほんの少しばかり「50周年記念事業」のお手伝いをさせてもらっているが、美術館の二十年後、三十年後を見据えて行動する館長の姿勢は、ずぼらな私には何かと学ぶべきところが多い。

私にとって、今年はいろんな企画が目白押しだ。
国内のみならず、海外展のお話もいくつかいただいている。それら一つ一つが実現したら、身が持ちそうにもないが、それが叶ったら、たとえそこでくたばろうと、作家にとってはけだし本望というべきだろう。

「一年の計は元旦にあり」と言うが、「一念、岩をも砕く」という。
ここは「やるぞ!」と決意を新たにし、ひたすら前へ前へと突き進むしかあるまい。
箱根駅伝を激走する若者のひたむきな姿を見ながら、人生をこのように駆け抜けていきたいものだと、大いに闘争心をかき立てられたのだった。

人生百年時代、どんなサプリメントよりも、夢と希望にまさる活力剤はあるまい、と冬の陽だまりのなかで、あらためて思うのである。



2020/01/04 07:40 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

平成の置き土産

ああ、今年もあと10日か、と雨催い(あまもよい)の空を見上げながら、この一年の来し方を振り返ってみる。
「令和」の始まりは、「平成」との別れを意味しているが、平成の置き土産とばかりに、早春、素晴らしい人たちとの出会いがあったことが、真っ先に思い起こされた。

一期一会、という言葉がぴったりあてはまるような出会いに、人の縁の不思議をあらためて思ったのだが、人の出会いに早い遅いはない。年齢も性別も関係ない。縁深き人はかならず出会うようにできている、という視点に立てば、出会うべくして出会っただけのことであろう。

一度会っただけで、旧交を温め合っているように感じる。そんな出会いは、人生において、そう何度もあることではないだろう。
何度も会っているのに、通り一遍に終始するケースのほうが圧倒的に多いことを、身をもって知っているだけに、よけい気持ちが反応するのかもしれない。

私は多感な青少年期、夢見がちなところがあって、この先、自分と縁を結ぶ人はいま、どこで、何をしているのだろう。いや、まだこの世に生まれていないかもしれない、などと空想を広げたものだった。そうした空想癖は、この歳になってもいまだ消えていないところをみると、どうやら持って生まれた性癖のようだ。

人生に出会いと別れは付きものだが、惜別の痛みを和らげてくれるのは、新しい未知の人との出会いだろう。
自分の人生に彩りを添えてくれるのは、ひとえに知己知遇を得た人であることを、私は年齢を重ねるごとに強く思う。人は人を求めて生きているのだと実感する。

令和に入って、私は新しい時代の息吹を感じている。
仕事の張り合いが増した分だけ、責任の重さは半端ではないが、作家としてはむしろ喜ぶべきことと受け止めている。

私という存在がはたして、どれほどの価値を持っているのか、自分にはわからないけれども、たった一人でも必要としてくれる人がいたとしたら、この世に生まれついた意味はあるに違いない。

ましてや、創作という世界に身をあずけた人間には、有形無形に支え、励ましてくれる人ほどありがたい存在はない。
そこには老若男女の隔てはない。ただ裸の心と心の交流があるだけである。

願わくは、それぞれの出会いが個々の人間にとって、生きる喜びにつながることができたら、それで十分だろう、と年の暮れに一人思うのである。


2019/12/22 13:30 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

日本民族の宿命

凄まじい自然の破壊力である。
紀伊半島、東海地方を巻き込みながら伊豆半島に上陸し、上信越、関東、東日本を蹂躙した台風19号は、未曾有の爪痕を残して太平洋上へと去って行った。

尋常ならざる暴風雨に一級河川が次々と決壊、住み慣れた都市や市町村の風景を一変させた。死者、行方不明者は90人近くにのぼり、全半壊した家屋は1100棟以上、被災した家屋は5万6千棟を越えるという。
被害に遭った方はもとより、被災地と何らかの関わりを持つ人を加えれば、何百万人という人たちが罹災したと言えるだろう。

いくら自然災害に慣らされた日本民族とは言え、これほどの猛威にさらされては立ち上がるのは容易ではない。
個人のみならず、企業や会社のなかには、存亡の岐路に立たされているところもあると聞くと、胸が痛む。
一夜にして人生設計を狂わされ、生き地獄さながらの生活を強いられる方々の無念はいかばかりか。被害を被らなかった身としては、かける言葉が見つからない。

私が生きてきた昭和、平成、令和の時代は、天変地異に翻弄された世紀のように思われてならない。
伊勢湾台風、新潟沖大地震、三原山、雲仙普賢岳、木曽御嶽山の大噴火、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、十勝沖大震災、西日本豪雨、そして近年の相次ぐ大型台風……と大小あわせれば、枚挙にいとまがないほどの自然災害である。その対象は日本列島全域に及ぶ。

この中には何百年に一度、千年に一度というような想像を絶する大災害が含まれているのだから、なにかに祟られているとしか思えない。誰もが、どうしてこんな目に遭うのか、と世を恨み、天を憎みたくもなってくる。しかし、過ぎ去ったことをいくら悔やんでも、時間を巻き戻すことは出来ない。

日本民族の歴史は自然災害との戦いの歴史、と言っても過言ではない。
何百回、何千回と打ちのめされながらも、その都度、歯を食いしばり、大地に根を下ろし、子々孫々の営みを守り通してきた。
それを思うと、自分たちもここで負けるわけにはいかない。

自然の凶暴化は、人間社会の行き過ぎた欲望の結果だ、と警鐘を打ち鳴らす識者もいるが、地球規模の問題だけにそれに歯止めをかけるのは簡単ではない。ヨーロッパの異常気象、ブラジルやオーストラリアの大森林火災など、人災との声が根強い。

人生の不条理さは今に知ったことではないが、いつ何時、予想もしない災厄が身に降りかかってくるか、人生はほんとうに一寸先は闇である。しかし、闇の先にはかならず光が待っていることを信じたい。

どんな逆境に立たされようと、命ある限り、人間は生きていかなければならない。悲嘆に暮れ、ただ立ちすくんでいては何事も前に進んでいかない。展望も開けない。
ここは自らをむち打ち、叱咤激励し、一歩足を踏み出すよりない。
生きるとは、そういうことだろう、と今更のように思うのである。



2019/10/17 09:45 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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