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日々勉強

1の数字が並んだ1月11日、西の方向にある24階建ての高層マンションの頭上を、太陽が一度も隠れることなく横切るようになった。
この時期、室内に日が差さなくなるのは、わが家の場合、午後3時過ぎからほんの20分足らずに過ぎないが、冬の陽だまりが恋しい季節だけに、これからはビル影を気にせずに過ごせると思っただけで、気持ちが明るんでくる。

いまさら、日照云々の繰り言を言うつもりはないが、五六年前、太陽が昇る東の方向にも13階建てのマンションが建ち、朝日の当たる時間が小一時間ほど削られるようになったのは、いかにも狙い撃ちされたようで、つい愚痴の一つもこぼしたくなる。
しかし、限られた土地に人間が密集して暮らす都会にあっては、共同住宅ほど至便なものはあるまい。かく言う私もマンションに寝起きする人間の一人である。

思えば、私の住むマンションが建ったために、何かしらの不自由、不便を強いられた近隣の住人が数多くいるにちがいない。誰かが良い思いをする影には泣きを見る人がいるというのは、人の世の常であろう。あちらを立てればこちらが立たず、である。「とかく人の世は住みにくい」とは、夏目漱石の識見でもある。

しかし、その住みにくさを作り出しているのは、向こう三軒両隣りの住人、つまり自分であり、あの人であり、その人であり、この人である。言ってみれば、すべての人間が当事者なのである。そのことを肝に据えて、せいぜい他人に迷惑をかけないで生きていきたいものだと切に思うのだが、言うは易く行うは難しで、これがなかなか実践できない。

振り返ってみれば、これまで生きてきて、どれほどの人に迷惑をかけてきたことか。
楽しかった思い出よりも、過ちだらけの一つ一つが苦々しく思い出されて、憂愁は深まることはあっても和らぐことはない。やり直せるものであれば、といまなお後悔の念がよぎる。

どうやら人間にとって後悔は避けて通れぬ道らしいが、しかし己の非を悟り、新たな一歩を踏み出すことができるのだとしたら、人生というのは日々勉強といえようか。
人生に無駄はない、とそれを信じて、どこまでも前向きに生きていくのが、わがまま放題に生きてきた人間の、せめてもの罪滅ぼしでもあろうか。

いささか身勝手で虫のよすぎる解釈に聞こえるかもしれないが、人間というのは案外しぶとくて、したたかな生きものだ。強そうで弱いが、弱そうで強いのが人間だ。だからこそ理不尽な世の中を生きていけるのだろう、と冬の陽だまりのなかで、ふとそんなことを思った。


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2019/01/16 11:15 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

しっぺ返し

先週、パソコンの画面が突然、電波障害を受けたように千々に乱れ始めた。
横縞のような線が不規則に走り、パッパッと明滅を繰り返す。
何が原因なのか、IT音痴の私には見当がつかない。

じつはこれと似た症状が、ひと月くらい前にも起きたことがあった。
そのときは電源をいったん落とし、小一時間してから再起動をかけたら、何事もなかったように正常に戻った。
今回もそうかと思い、おなじ手順を踏んだが、画面の乱れは続いたままだった。

翌朝、今一度電源を入れてみたが、やはりだめだった。こうなるともう完全にお手上げである。
開店時間を待って、以前、パソコンを購入した新宿のビックロに行った。
修理担当者は画面を開くなり、液晶画面がやられていて、修理に出すと最低二週間はかかるとのこと。

私は一両日中に直るものと、勝手に思い込んでいたので、「うっそー!」と思わず叫びそうになった。
しかも聞けば、修理費用は5、6万円くらいかかり、治るかどうかも保証の限りではない、と言われては、もはや買い換えるしかない、と宣告されたも同然である。

勘ぐれば、新しいのを売りつけようとする営業言葉かと思わぬではないが、背に腹は代えられない。毎日、パソコンを使って原稿を書いているので、手元になければ仕事にならない。
私は即座に同じ機種のものを買うことにしたが、それからが一苦労だった。

今まで使っていた「ウィンドウズ7」から、「ウィンドウズ10」にバージョンアップされたとかで、本来なら使い勝手がよくなったはずなのに、私にとってはすべてが未知との遭遇状態。店員さんの話では、わからなければ電話で聞いてください、ということだったが、だんだんと心細くなってきた。

自宅に戻り、いざ取りかかろうとしたものの、やはり心配したとおり、ネットの接続ができない。電話をかけようにも、何をどう説明したらいいものか、なんとも心許ない。そこで近所に住むカメラマンの久保田建さんに応援を頼み、なんとか通じるようになったが、それにしてもなんとも人騒がせなパソコンの故障ではあった。

そういえば、先日、ソフトバンクが突然、通信不能になり、全国規模でトラブルが発生した。
私もじつはソフトバンクを利用しているのだが、さいわい逼迫した事態には遭遇しなかったものの、あらためてネット社会の脆弱さ、危うさを思い知らされた人は多かったのではなかろうか。

私の学生の頃は、原稿用紙に一字一字文字を書き込み、文章を作成していったものだが、パソコンの普及はそうした手間暇を簡略化し、人間の脳の働きまで変えつつある。そんななかで、今回のような器具の不具合、障害が生じたら、日常生活はとたんに麻痺し、不自由を強いられる。

人生というのはすべからく表裏一体である。
便利さの恩恵にあやかっているようで、じつは失っているものがある。その失ったものの多くは二度と取り戻せないかもしれない。
便利さにあぐらをかいていると、しっぺ返しを受けますよ、と教えられた今回のトラブルであった。




2018/12/17 09:05 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

奇跡の一粒

数日前から、のどがいがらっぽくて、
風邪かなと思っていたら、案の定、咳が出始めた。
熱はないものの、何となくからだがかったるい。

以前なら、こういう時は市販の風邪薬ですませたものだが、
それより、かかりつけの医者に診てもらったほうが治りが早く、しかも安上がりだと、この歳になってやっと気づき、早速近くのクリニックに行った。

処方されたかぜ薬は三種類。
熱を下げたり、やわらげたりする「カロナール錠200」
扁桃腺などの腫れや痛みを抑える「トラネキサム酸錠」
咳を鎮める「デキストロメトルファン臭化水素酸塩錠」

日に三回、食後に服用してください、と薬剤師さんに言われ、
その日の昼食後から飲み始めたら、効果てきめん、二日後にはのどの痛みはやわらぎ、咳もおさまって、いまではほぼ正常に戻った。
ひき初めの段階で、診察を受けたのがよかったようだ。
早期発見、早期治療が病を退治する一番の秘訣ということだろう。

診察代は710円、5日分の薬代が420円、あわせて1、130円。
勤め人でない私は国民健康保険で、薬代は二割負担ということだったが、ずいぶん安い感じがした。
他の国の医療制度がどのようなものか、知らないけれども、日本国に生まれてよかった、と素直にそう思った。

マスコミなどでよく、住みやすい国とか、幸せな国ランキング、暮らしたい街などといった記事を目にするが、
海外へ行くたびに、私は日本という国のすばらしさを痛感する。
美しい風土とともに、衣食住全般にわたって、程よいバランスを保っている稀有の国のように思われる。

有史以来、日本列島は容赦ない、あまたの自然災害に見舞われ、甚大な被害をこうむってきたが、不死鳥のごとくそれらを踏み越えて、独自の自然観を身に付け、文化をはぐくみ、そして今日のような国家を築いてきた。
その有為転変の歴史は、世界でも類例をみないのではなかろうか。

風邪の話から、話題がいささか大仰になったが、たとえば、私の仕事など、日本人としての資質、DNAが備わっていなければ、叶わなかっただろう。私の血肉は何代、何十代にわたって受け継いできた、いわば先人からさずかった奇跡の一粒であり、あだやおろそかにできない。

そのことを思うにつけ、自分という人間は多くの人たちの有形無形の支えがあって生きている、いや、生かされているのだということに気づかされる。
当たり前のことながら、人は一人では決して生きていけない。
ならばこそ、報恩感謝の思いだけは絶対に忘れてはいけないし、それが生きている人間の最低限のつとめであろう、と心からそう思うのである。


2018/11/22 11:30 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

一目ぼれ

一目ぼれ、と世にいう。
年齢や性別にかかわりなく、瞬時にして心を奪われ、魂を吸い寄せられる。
恋愛の原点のような体験を、はたしてどれくらいの人が享受しているのだろうか。

自分の過去を振り返るに、残念ながら、それらしき体験は思い浮かばない。
もちろん、初対面の折に好意を抱く、あるいは好感を持つというたぐいのときめきは、当然ながら幾度となくある。
しかし、裸の心が一瞬にして「その人色」に染め上げられるというのは、どうもなかったような気がする。

この齢になって、恋愛話などと鼻白むなかれ。
異性に興味関心を抱くのはむしろ、心身共に健全な証拠と思いたい。
男でも女でも、色気を失ったときが老化の始まりだろうと、私は信じて疑わない。

そんなことが頭にこびりついているからだろうか、
私の作品を見て、「色気がある」とか、「艶っぽい」などといった批評をされる方がいる。
真偽のほどは自分ではわからないが、勝手にお褒めの励ましと受け止めている。

芸術の世界は、主観に左右されるところが多々あって、人によって評価が大きく分かれたりする。歴史に名前を刻む大芸術家の作品が理解できないからと言って、自分を卑下することはない。
誰に迷惑をかけるわけでもないのだから、趣味感性がちがうだけの話、とわりきっていっこうに差し支えない。

長年、美術雑誌に携わってきた私は何よりも、自分の目と感性を大事にしてきたが、どんな高名な芸術家であろうと、市井の民に、好き嫌いの「天下の宝刀」を抜かれては、苦笑を返すのが関の山だろう。
芸術を小難しく考える必要はさらさらない。好きな作品が、その人にとっては無上の傑作なのである。

私が一目ぼれの話を持ち出したのは、一目ぼれさせるような絵が描けたらどんなに素敵だろう、と常々思っているからでもある。
実際、縁もゆかりもない、通りすがりの人の目にとまり、自作をお買い求めいただくことができたとしたら、それは作家として最高の栄誉、勲章に違いあるまい。

じつは、僭越ながら、私の作品をお持ちの方のほとんどが、それに類するご縁で結ばれている。
私の名前も素性もよく知らないまま、作品をお求めいただいた方が大半なのである。
飲食店に飾られている私の絵を見て、うちまでお越しいただいたアメリカ人の方だっている。

そうした人たちと出会い、縁を重ねるにつけ、一目ぼれの体験をもたない自分は、もしかしたら感度が貧弱なのではと、思うことが一度ならずあるし、一目ぼれというのは縁ものだから、せめてその気にさせるような絵が描けないものか、と開き直っているところもある。
一目ぼれの話を持ち出したのはゆえなきことではない。

作家は不特定多数の方に見知ってもらっていくら、の世界に生きている。それはまた、どこで誰が見ているかわからないということでもあるので、自戒を込めて、より感性を研ぎ澄ませ、人間としての素養を高めていかなければといけない、と私は自分に言い聞かせている。
作品は頭で描くのではなく、その人そのものがにじみ出るものだ、とあらためてそう思うのである。




2018/11/02 08:20 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

物見遊山

最近は、絵を描いたり、扇子をつくったりするよりも、書き物の仕事がたまって、パソコンに向かうことが多い。
依頼されている原稿が遅々として進まず、年内に予定している脱稿がおぼつかない。
こんな時に限って、地方へ出かける用事が重なるのは何としたものか。

先月末から広島に行き、東京に戻ってくる早々、二日後には島根県安来市の足立美術館に出向いた。
2020年の開館50周年にあわせて、映像プロデューサーの北尾修さんが超高精細カメラで、二年間にわたり、庭園の四季を撮った。その映像のナレーションを、去年、NHKを退職した石澤典夫さんが担当することになっていて、収録が終わったあとの宴席に付き合ってほしい、と館長からお招きを受けていたのだった。

じつは先ごろ、私は美術館の理事に就いたこともあって、これも理事の仕事の一つだろうか、と二つ返事で応じたが、それよりなにより、石澤さんは館長共々、古い飲み仲間であるばかりでなく、日ごろから、私の扇子を何かと重宝していただいているとあっては、断る理由などあろうはずがなかった。この夏の三越展でも早々と来場し、自ら展示を手伝ってくれたほどである。

当日、米子に向かう飛行機の中で、その石澤さんと鉢合わせした。私は別々の便だとばかり思っていたが、それは石澤さんも同様のようだった。
空港に到着すると、先に飛行機を降りていた石澤さんと北尾さんが待っていてくれた。
私はそれまで、館長が出迎えに来ているとしか思っていなかったので、一瞬、事情が呑みこめなかったが、二人はこれから収録に向かうらしく、私もそれに同行するのだとわかった。

松江市にあるテクノパーク島根のスタジオに入ると、北尾さんからナレーションの台本を渡された。初夏から初春へ移ろう、庭園の四季を紹介しながら、折々に横山大観の作品と対比させるという構成のようだった。
石澤さんは事前に目を通していたようで、収録に先立って、二人は原稿のチェックに余念がなかった。
私は二人のやりとりをそばで聞きながら、石澤さんのナレーションがすぐ間近で聴けるとあって、どこか物見遊山気分だった。

石澤さんについてはご存知の方も多いと思うが、NHK在職時代、夜7時の全国ニュースを担当し、また日曜美術館の司会をつとめるなど、美術番組をはじめとする各種番組のナレーションを数多く手がけてきた、いわば同局の看板アナウンサーの一人であった。名前だけではピンと来なくても、顔を見、声を聞けば、「ああ、あの人か」とわかるはずである。

そんな石澤さんだけに、台本に書かれた文言や言いまわしなど、事細かなチェックを入れ、「さすがプロ」と私は感心しきりだったが、北尾さんから突然、「吉本さん、気づいたことがあったら、何でも言ってください」と話を振られた。
私は、言葉の重複が気になったので、それを指摘したところ、最初から原稿を推敲することになり、物見遊山気分はたちまち吹き飛んだ。

私は思いつくままに、こういう表現はどうだろうかとか、言わずもがなの文言は削ったほうがいいのでは、などと好き勝手なことを言わせてもらった。そのため、予定していた時間を大幅に超えてしまったが、三人寄ればなんとかで、最初の原稿よりも簡潔で、石澤さんのナレーションも一段と生きてきたように思う。
あとで思えば、館長は私の性格を知っていて、収録現場に居合わせれば、きっと口をはさむにちがいないと踏んで、私を呼び寄せたのかもしれない。しかし、私にとっても貴重な体験にはなった。

   個室の露天風呂(鷺の湯温泉) 鷺の湯温泉の露天風呂と和室部屋ツインベッドの和室(鷺の湯温泉)


三人が美術館のすぐ近くにある鷺の湯温泉に着いたのは7時近かった。
当初の予定では、ゆっくり温泉につかって、6時には食事がスタートするはずだっただけに、館長も待ちくたびれたにちがいないだろうが、のちのちまで遺る記念映像だけに、いいものができるに越したことはない。現場でのやりとりを聞きながら、館長も出来栄えを心待ちにするふうだったのは何よりだった。

その夜、私は日本酒と料理に舌鼓を打ったが、翌日に尾を引かなかったのは不思議なくらいだった。
それだけ楽しいお酒だったということだろうが、あてがわれた部屋に露天風呂が付いていたので、夜と朝、ゆったりと湯につかったのがよかったのかもしれない。
          
それにしても、広々とした和室のツインベッドというのは、何とも贅沢で、一人で使うにはもったいないしつらえである。部屋に通されたあと、「目に毒ですね」と隣部屋の石澤さんに言いそうになったが、冗談にも、そんな言葉が思い浮かぶというのは、自分もまだ若いということだろうかと、自分を慰めてみたものの、そんなかけらの一つも夢に出てこなかったのは何とも情けない。

しかし、気は持ちようで、生きるとは、未知の時間を刻むことであって、日々刻々、新しいものと遭遇することである。
「生涯現役、生涯青春」をモットーにして生きたい、と常日頃、公言してはばからない私だが、心身共に刺激を与えながら生きることこそが、何よりの活力にちがいないと、あらためて思い知った山陰紀行であった。




2018/10/16 09:50 | COMMENT(0)TRACKBACK(0)

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